花房幻影伝 お蘭!
〈寿司屋〉
「へい、らっしゃい!」
店内に、威勢の良い板前の声が響き渡る。
ところは両国広小路。お江戸で屈指の賑わいを誇るその場所に店を構える、当世はやりの江戸前寿司屋。
昼飯時を過ぎいくぶん落ち着きを取り戻した店の一角で、握りたての寿司を口に運んでいるのは、蘭・凛・蓮の三姉妹だ。
「か~っ、やっぱりカツオは秋に限るねぇ!」
「まあ、蘭ったら、はしたないですわよ」
「そういう凛も、ほっぺたに銀シャリつけてんじゃないか」
しょうがないねぇ、と、つまんで自分の口に運ぶ蘭。
この時代、握り寿司は「はや寿司」と呼ばれ、手早く気軽に食べられる江戸っ子たちのファーストフードとして広まりつつあった。
「お蘭さんは、カツオがお気に入りかい?」
カウンターの向こうから、若い板前がせっせとネタを仕込みながら話しかけた。
…どう考えても、江戸の寿司屋にカウンターがあるのはおかしい。
この最新型の店舗の間取りは、何を隠そう建築マニアの蘭が依頼を受け考案したもの。多少の時代考証のぶれには、この際目をつぶっていただきたい。
「おい、太助! 半人めぇが無駄口叩いてんじゃねぇや」
隣で魚を下ろしていた大将が雷を落とす。絵に描いたような頑固な板前だ。
名を、華屋与兵衛。今をときめく「はや寿司」の考案者であり、現代までつづくワサビを使った一口大の握り寿司の、開祖といわれる人物である。
震え上がる太助をかばうように苦笑する蘭。
「いいじゃないのさ、大将。客の好みを知るのも料理人の務めだろ?」
「いよっ、さすがお蘭さん! 江戸っ子だねぇ」
わけのわからない煽り。美人の双子がお気に入りの太助だ。ちなみに、江戸へ来て三代どころかようやく一年になろうという蘭たちは、どう考えても江戸っ子ではない。
「そうさねぇ。カツオの旬は春たぁいうが、秋の戻りガツオはこれまた格別。脂が乗って、トロより旨いくらいさ」
「あら、わたくしはもっとあっさりしたほうが好みですわよ」
にっこりと小首を傾げる凛。
「お寿司はやっぱり貝ですわ。アワビ、ホタテ、この時季はカキですかしら」
「…うぅ…。おいら、故郷で生ガキに中(あた)ったことあるんだよなぁ……」
顔面蒼白で震えながら、誰にも聞こえないほどの声でぼやく太助。明らかにノロウィルス、よほど酷い目に遭ったようだ。
「…で、蓮はどんなネタがお気に入りなんだい?」
「ほぁ?」
先ほどから黙々と食べ進めていた蓮が、きょとんと顔を上げた。
「そういえば、聞いたことありませんでしたわね」
「この子は何でもまんべんなく食べるからねぇ」
歳の離れた妹・蓮は、ふたりにとって目に入れても痛くない存在。
しかし、その正体が紛れもない弟――男だと知るのは、お江戸は広しといえども、彼女らを含むごくわずかな者たちのみ。当然太助や大将にも秘密である。
「よしっ、おいらが当ててやるぜ。可愛いお子ちゃまは、やっぱり寿司よりギョク(玉子焼き)じゃねぇかい?」
「えっ? あの、僕は」
「ふふっ。たしかにこのお店の玉子焼きは絶品ですわね」
ほっこりとした甘みを思い浮かべ、うなずく凛。
「わたくしは、ウニか大トロだと思いますわ。蓮はこう見えて、高価なものが大好きですもの」
「いや、あたしゃ絶対イクラだと思うね」
「…なぜですの?」
蘭が自信満々で鼻を鳴らす。
「前々から思ってたんだが、蓮のこの髪飾り、どう見てもイクラっぽい……もがっ!?」
唐突に、大量のガリを口に突っ込まれる蘭。
「センスがなくて悪かったですわね! どうせわたくしの設計ですわよっっ」
ぷんぷんと怒り心頭の凛。どうやら蓮のさくらんぼ型の髪飾りは、カラクリ好きの凛が開発した、蓮専用の秘密兵器のようだ。
「で、ほんとは何が好きなんだい、お蓮ちゃん?」
「ほぁぁ…。あの、その…」
大ごとになった。視線の中央で顔を赤らめうつむく蓮。こうなると余計聞きたくなるのが人情だ。
彼女の艶(つや)やかなくちびるが、ついに動いた――。
「……た…タコですぅ……」
「………」
渋すぎる。
あんぐりと口を開け、固まっている蘭、凛、太助。
そのとき、コトン、という微かな音とともに、カウンターに大振りの寿司桶が置かれた。
中には隙間なく詰め込まれた、たった今下ろしたばかりの光り輝く生タコ寿司。
「??」
桶を持つ手を四人がたどれば、そこにはなぜか顔を真っ赤に染め、しかめっ面で目を伏せる大将の姿があった。
「俺の奢りだ。食え……」
「大将さん!」
瞳をキラキラ輝かせ、上目遣いで見上げる蓮。ほんのりと頬を染めると。
「蓮、嬉しいのですっ♪ 大将さん、大好き……」
若い三人が、脱力したようにカウンターに突っ伏した。
悲しきかな、魔性の幼女の魅力に取り憑かれてしまったギャップ萌えの男性が、ここにまたひとり――。
その後、たまたま忍務についていて寿司屋に同行できなかったくノ一仲間、なな・桔梗に、蘭たちが揃ってボコボコにされたのは言うまでもない。
食べ物の恨みはかくも恐ろしきかな。
貴方もお江戸を訪れるときは、ぜひその店をたずねてみてほしい。
新鮮な江戸前寿司と、絶品の玉子焼き。
そして一風変わった板前どもと常連客たちが、きっと貴方を歓迎してくれるだろう。
― 寿司屋・完 ―
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