花房幻影伝 お蘭!
〈ハナ×コイ! / 後編〉
図らずも訪れた、蘭と清四郎、初めての直接対決の機会。それはあろうことか、蘭により襦袢姿に剥かれた凛たちの着物奪還を賭けた、脱衣花札のこいこい勝負――。
初戦の対局開始より、半刻の後。
「雨四光、月見花見に猪鹿蝶! 上がりだよっ!」
「くっ…」
詩歌でも詠み上げるように、ずらりと畳に広げられる鮮やかな絵札たち。蘭の華麗な札捌きは、どこか手裏剣の扱いにも似ている。
「醜態晒す前に、さっさと降参しといたほうが身のためじゃないのかい?」
羽二重の袂から出した守り袋を傍らの着物の山に重ねる清四郎を、余裕の笑顔で見やる蘭。
すでに清四郎の紋付の羽織や足袋は剥ぎ取られ、初秋には肌寒いいでたち。だがたとえ裸になろうとも、刀や十手を賭けの道具にするつもりはない。一方。
「今の台詞、そのままそなたに返すぞ、お蘭」
「…ふん…」
蘭もまた、かんざしや飾り櫛、帯締めなどの装飾品をことごとく奪われ、すでに紺の小袖と金糸の帯のみの姿となっている。
「正直、アイツがここまでやるとは思わなかったぜ」
さすがのななも目を見張る。職務一筋猪突猛進、「正義」を絵に描いたようなこの男に、蘭と張り合うほどの勝負師の才能があったとは――。
齢十九で江戸の矢上家に養子に入るまで、清四郎は、上州は七日市藩の郷士の四男坊として生まれ育った。
この時代、武家に生まれてお家を継げるのは長男のみ。次男以降は、同じ武家である他家に養子入りまたは婿入りが決まるまで、仕官口も禄もない「部屋住み」、つまりパラサイト・シングルとして、長兄の禄にすがることとなる。
暇を持て余した石潰し…そんな世間の眼差しに耐え切れず、同じ部屋住み仲間と羽目を外し、謹慎を喰らったことも一度や二度ではない。
(若気の至りの手慰みが、まさかこのような場所で役に立つとはな…)
人に歴史あり。当然ながら二度と掘り返したくない過去だが、当時抑えつけられていた若き情熱が、今、奉行所同心という勤めに向かって全力で注がれていることを思えば、それもまた清四郎にとって必要な時間だったのかも知れない。
「種。上がりだ」
「っ!」
蘭の顔色が変わる。もてあそんでいた扇子をパチンと閉じ、着物の山の上に差し出した。引き金が引かれたように、ふたりの間に緊張が走る。
「勝敗は五分……否、点数でいえば頭領が圧倒的」
涼やかに告げる桔梗。と、先ほどから黙りこくっていた凛がつぶやいた。
「けれど蘭には、勝負における致命的な欠点がありますわ。清四郎さんほどの方なら、もうそろそろ気づかれるはず…」
片や小袖に帯、片や羽二重に帯。どう転んでも二、三勝負のうちに、どちらかが帯を解く羽目になる。
――そして。
「カス。上がりだ」
「……!!」
無情に響く清四郎の勝ち名乗り。
花札のルールは、思いのほか単純だ。『光』『種』『丹』『カス』の四種の札を集め、『役』が揃った時点で自己申告により上がりとなる。
だが、手持ちの札と場に出ている札から、山札に残されている札を推測し、より高得点の『役』を揃えられると判断した場合、その時点では上がらずにゲームを続行することができる。これが「こいこい」であり、花札が賭博として認識される所以だ。
ここまで、地味だが無難な『役』で勝ちつづけてきた清四郎。
一方蘭の上がり手は、五光、雨四光、月見で一杯、花見で一杯のような華々しい『役』ばかり。言い方を変えれば、たとえ種やカスのような『役』が揃っても、自ら上がりを拒み「こいこい」しつづけ、いくつもの勝利を棒に振ってきたという意味だ。
「派手な演出を好む蘭には、華々しい勝ち名乗りこそが勝負の醍醐味。地味な決まり手で上がるなんて、プライドが許さないのですわ」
「ほぁぁ…なるほどなのです…」
強気な性格が裏目に出た。姉の長所も短所も知り尽くした凛でなくとも、サシで勝負を交えるうちに、清四郎にも自ずとその欠点が読めたのだ。
「ど、どうなってんだい!? まさかこんなはずじゃ…」
さすがの蘭にも動揺が走る。のけぞるように畳に手をついたとき。
「――青丹。上がりだ」
「………!!」
見開かれた両目に、悔し涙が滲んだ。
こんな屈辱は生まれて初めてだった。自分のこだわりのせいとはいえ、得意の花札で、しかもよりによってこの男に。
震える手を、自ら背中の帯の結び目にかける。金糸の帯がはらりと解(ほど)け、花びらが散るように足元に落ちた。
(……!)
いたたまれずに目線を逸らす清四郎。
そもそもこの勝負の目的は奪われた着物を取り返すことであり、当然清四郎に他意はない。が、すでに着物を脱がされている凛たちの手前、蘭も後には引けなくなっていた。
「さぁ、あと一敗で襦袢姿ですわよ!」
「くっ…」
押さえられた小袖の襟元から、燃え立つような緋襦袢が覗いた。『あなたと越えたい、天城越え』……流行りの情歌の一節が、めまいとともに凛たちの脳裏をよぎる。
――そのときだった。
「…ふっ、……ハハッ………、ア――ッハッハッハ!!」
狂ったように蘭が高笑いをあげた。追い詰められて我を失ったか、勢いよく立ち上がり、見下すように清四郎を指差す。
「丹、種、カス……なんだいさっきから、つまんない『役』ばっかり!」
「何とでも申せ。要は、勝てばよいのであろう」
今は賭けているものが金銭ではない分、リスクを冒して高得点を狙う必要はない。とにかく相手より先に上がり、一枚ずつ着実に着物を剥いでいくことが重要なのだ。
「あんたの上がり手は、しょぼいんだよ!」
挑発するように両腕を組む。
「何でもいいから上がりゃいいって? はんっ、興醒めだねぇ! 現状に満足せず、常に高みを目指すのが男ってもんじゃないのかい!?」
「無用な危険は冒さぬ性質(たち)なのだ。平凡地味な『公僕』であるゆえにな」
以前蘭に言われた単語を引き合いに応戦する清四郎。少なからず根に持っていたらしい。
だが、その微かな心の揺れを、蘭が見逃すはずはなかった。
「所詮は度胸がないってことさ。とどのつまり……」
ずいっと清四郎のそばへ歩み寄ると、大胆にもその膝の上に横座りに座り込む。腕をまわし、抱きつくように首筋に絡めた。
「そ、そなた何を!?」
狼狽する清四郎をよそに、耳元へ唇を寄せると――蘭は頬を染め、うらめしげな声でささやいた。
「ひとりの女もマトモに満足させらんないなんて……せいしろうの、ヘ・タ・ク・ソ……」
「………!!!」
ブチッ、と糸が切れるように、清四郎の中で何かが壊れる。
(ぁ……)
見守るギャラリーたちの顔から、一気に血の気が引いた。
(鬼だ、姐御さま…)
(殿方への最大級の暴言ですわね…しかも今回はまったくいわれのない…)
(よくわからないけど一応同情しとくのです…グスン…)
ふ、と小さな吐息が漏れた。口元しか笑っていないうえに、札を持つ手がプルプルと小刻みに震えている。
「聞き捨てならぬ…。誰が、(小声)ヘタクソ(小声終了)、だと申す!?」
「ほーぉ? 違うってんなら、どーやって証明すんだい?」
膝から飛び降り、ニヤニヤと意味深に笑む。
すっかり怯えきった凛・なな・蓮を置き去りに、ゆらりと座布団から立ち上がる清四郎。
「無論…」
視線がぶつかり、熱い火花が弾け飛んだ――。
「こいこいだ!!」
「そうこなくっちゃねぇ!!」
額をガチで突き合わせ、怒鳴り合うふたり。
奉行所同心と女義賊の頭領、太陽と月のように真逆の存在に見えて、根っ子のところは似た者同士なのかも知れない。
「…勝負あったな」
遠い目でつぶやく桔梗に、魂が抜けたようにへなへなと畳に突っ伏す凛たちだった。
そして再び半刻の後。
ところは南町奉行所、訴訟の受付や詮議の順番待ちをする町人たちで溢れる待合室の片隅にて。お馴染みの筆頭同心・小山田が、今日は珍しくまじめに文机に向かい調書をとっている。
「またおぬしか! だからバクチからはもう足を洗えと申したであろうが」
「面目ねぇ、小山田の旦那~。わかっちゃいるけどやめらんねぇのが、人の性ってもんでございやすよ…」
吉原の賭場で大負けして全財産を根こそぎ取り上げられ、奉行所に保護された、若い講談師風の男。
どうやら取り調べも常連のようで、出された店屋物の二八そばを涙ながらに掻っ込む。
「これに懲りて、賭場への出入りは控えることだ。のぉ?」
「へぇ、心に留めておきやす。…おっ、旦那、どうやら次なる放蕩者が現れたようでございやすぜ」
男の声に顔を上げた小山田が見たものは。
「…矢上清四郎、ただいま見廻りから戻りました」
「………」
脱いだ着物と十手を風呂敷のようにひとまとめにして刀の鞘に縛り付け、ふんどし一丁で息を切らしてたたずんでいる清四郎の姿――。
「…おう。これはたしかに、ぼったくりの遊郭で法外な金額を吹っかけられ着の身着のまま逃げてきたオッチョコチョイにしか見えんのぉ」
「若気の至りでございやすねぇ~v イヨッ、好色一代男!」
「……しばらく一人にしてくだされ……」
思い返すもおぞましい、秋のお江戸の白昼夢。
『女子との口論は身の破滅』――大きな犠牲と引き換えに得た新たなる教訓を胸に、ひとり涙を拭う清四郎だった。
噺家(はなしか)殺すにゃ刃物はいらぬ、アクビ三つですぐに死ぬ、たぁ申しやすが、サテサテ。
男心を逆手にとった、花房お蘭の大逆転。たったひとつの地雷ワードが勝負の行方を決めるたぁ、まっこと恐ろしい限りにごぜぇやす。
この騒動から数日後、『御台所様毒殺未遂事件』を皮切りに、彼ら六人を待ち受ける波乱の運命。あっしが引きつづき、語らしていただきたいところではございやすが。
ちょうど時間となりやした。お後がよろしいようで…。
どうぞ今後も、矢上の旦那と『花房組』をご贔屓にっ!
― ハナ×コイ!・完 ―
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