花房幻影伝 お蘭!
〈新名所〉
「どいてどいてぇっ! どいてくださいな――!!」
ゆるやかに流れゆく大川(隅田川)の川辺に、歳若き娘の叫び声がこだまする。お江戸は両国橋近くの往来を、四輪立ての巨大な大八車が超高速で疾走していた。
奇妙なことに、車を引く者の姿はない。引き手の入るはずの場所には、代わりに更なる二輪の車輪の付いた、運転席とみられる箱型の部屋。
そこで操縦桿を握るのは、花房三姉妹の次女、凛である。
蜘蛛の子を散らすように人々が道を開けていく。曲がり角を曲がり、視界の端に見慣れた店の姿を捉えると――。
「ごめんあそばせ!」
凛は、車の動力部に繋がる足元中央の板を力任せに踏み込んだ。
大八車は砂埃をあげ豪快に横滑りすると、店の手前ギリギリでようやく停車した。
「あらあら…。まだ多少オーバーステア気味ですわね」
運転席から降り困ったように首を傾げ、懐から出した設計図に筆でなにやら書き込んでいる。
ほぅっとため息をついたところへ。
「えぇい、道を開けぬか!」
群がる野次馬を掻き分け、ひとりの若い侍が駆けつけてきた。黒八丈の着流しに紋付の羽織姿は、お馴染み南町奉行所の新米定町廻り同心、矢上清四郎である。
騒ぎの中央に、見覚えのある娘の顔を見つけるが。
どこか腑に落ちないといった様子で、ためらいがちに問いかけた。
「…お蘭?」
「はい?」
子うさぎのような瞳で見つめてくる娘。顔立ちも年格好も、彼の知る串之介長屋の女元締め・蘭に瓜二つではあるのだが。
「まぁ、蘭のことをご存知ですのね」
ぽむっと胸の前で手のひらを合わせる。屈託のない清らかな笑みが、艶やかな色香を纏う蘭とは明らかなる別人であることを語っていた。
「わたくし、蘭の双子の妹の凛と申します。日本橋の袂の甘味処『天下茶屋』にて、住み込みで給仕の奉公をしてますのよ」
「こ、これは失礼した…。拙者、南町の定町廻り、矢上清四郎と申す。しかし、まさか三姉妹であったとはな」
「あら、蓮とも面識がおありでしたのね。こちらこそ、姉妹ともどもよろしくお願いいたしますわ、清四郎さん」
茶屋で働いているせいか、香(こう)とは違う和菓子のような甘い匂いに心癒される。豊かな黒髪を高い位置で括り、水色の小袖を纏った愛らしい立ち姿は、まさに理想の大和撫子。
雑念を振り払おうと、清四郎はおもむろに咳払いする。
「ところで、両国界隈で怪しげな大八車が暴走していると聞き、馳せ参じたのだが」
胡散臭げな目つきで傍らの魔改造車を見上げれば、凛が得意げににっこり笑んだ。
「うふふっ。これは、日ノ本の国最新式のカラクリ、『エレキテル大八車』ですのよ」
助手席から取り出した分厚い冊子。その表紙には、達筆な筆文字で『奇天烈大百科』の題字が記されていた。
「わたくしの敬愛する師・奇天烈斎さまの設計されたものに、多少味付けを加えてみましたの♪」
「……設計? 味付け…?」
「やはり、ABSのみならず、ESCも標準装備にすべきでしたわね! …あ、ABSといいますのはアンチロック・ブレーキ・システムの略でして、車輪ロック時のブレーキアシスト装置のことですの。ESCというのはエレクトロニック・スタビリティ・コントロールの略で、いわゆる横滑り防止装置…」
呪文風の単語を並べ嬉々として解説をつづける凛に、清四郎はため息とともにがっくりと肩を落とした。
そういえば、日本橋辺りの茶屋の離れの小屋で、怪しげなカラクリを開発している者がいるという噂は聞いてはいたが…。
清楚な美少女にしか見えない凛の意外な一面に、清四郎は改めて確信する。蘭の周りにまっとうな女子(おなご)がいると思ったのが間違いなのだ。
「まぁ、それどころではありませんでしたわ!」
パッと頭上に電球が点いたように、凛が両の手のひらを合わせた。目の前の店の暖簾をくぐると、勢いよく引き戸を開ける。
「お待たせいたしましたわ、皆さん。ようやく試作品が完成しましたのよ!」
清四郎がよくよく見上げれば、そこは他でもない、蘭たちの行きつけの江戸前寿司屋『華屋』であった。
中から太助が走り出てくる。
「おぉ、ついに完成かぁ~。いよっ、さすがお凛さん!」
うふふと笑うと、凛は大八車の荷台に歩み寄り、積荷にかけていた布をおもむろに剥ぎ取った。
そこにあるのは――エレキテル車と同じく並の言葉では表現しようもない、世にも奇怪なカラクリである。
「とにかく中へ運び込んでくださいな。さ、清四郎さんも手伝って」
「い、いや拙者は……」
見廻り中、と言いかけたところを、背後から誰かに首根っこを掴まれ引き戻される。
「つべこべ言わずに手ぇ貸すんだよ、清四郎! 世のため人のため働くのが、あんたら公僕の務めじゃないのかい?」
「こ、公僕…」
振り返らずとも声の主はわかっている。歳に似合わぬ凄みを帯びたその物言いは、店内で到着を待ちかねていたらしい凛の姉、蘭のもの――。
どうやらまた、面倒なことに巻き込まれてしまったようだった。
例のカラクリを机の上に据え、凛は誇らしげに胸をそらした。
「わたくしの新発明、『回転寿司太郎 ver.1.0』です!」
これは5分の1スケールですけれど…と、またしても聞き慣れない単語を織り交ぜ付け加える。
なにやら、太い木の幹を縦半分に割り中をくり抜いたものを横に繋ぎ合わせ、楕円形の円周を作っている。
「この溝に水を流し、丸底の桶に入れた寿司を浮かべて回転させるのですわ♪」
水流発生用の引き金はここです、と、凛は側面の突起を指差す。
他でもない、史上初の回転寿司装置であった。
「すげぇ、こりゃ世紀の大発明だぜ!」
目をキラキラ輝かせ覗き込む太助の後ろから、それまで押し黙っていた大将・与兵衛が雷のように一喝した。
「べらんめぇ! 寿司っつったらこう、客の面ぁ目の前で拝みつつ、丹精込めて握るもんだ。それが寿司屋の真髄でぇ」
しかし今回ばかりは余裕の太助。
「もう、なに言ってんスか大将~~。ウチの店、昼時なんか客多すぎて、ちっともまわってねぇじゃねぇですかい」
そのくせ下手な職人なんざ雇いたくねぇっていうし、と、肩をすくめる。
「これさえありゃ、今の五倍の客が押しかけたって満足なもてなしができやすぜ?」
「うぅ……」
返す言葉もなく口ごもる大将。すかさず蘭が助け舟を出した。
「ま、これを使うのは、太助さんの言うようにいちばん忙しい昼飯時だけにしてさ。それ以外の時間帯ぁ、見えないよう格納しときゃいいのさ」
と、隣の机に大判の紙を広げる。それは今皆がいる『華屋』のホールとみられる、部屋の間取り図であった。
「ちょいと考えてみたのさ。このカラクリを囲むように席を作り、溝に蓋をすりゃ机の奥行きが広がるように…」
「………」
扇子で間取り図を指し、真剣な眼差しで説明を始める蘭に。
(…やはり姉妹なのだな)
一歩下がった場所で、ふと目を細める清四郎。
たしかに破天荒な者たちではある。だが、この男社会の江戸の世に、かような娘たちがいるのも面白きことなのではないか――。
そのとき、勢いよく店の引き戸が開き、蘭たちの仲間であり『華屋』の常連であるななが中へと入ってきた。
「おい、表に停めてんの凛の車だろ? なんか怪しげな奴らがジロジロ見てやがるぜ?」
「!? もしや!?」
その言葉に、凛がはじかれたように店の外へ飛び出していく。
追って暖簾をくぐった面々の前で、ほっかむりで顔を隠した怪しげな男たちが大八車の運転席に乗り込み、手にした帳面に何やらコソコソと書き込んでいる。
さらに凛の姿に気づくと、撤収とでもいうように四方八方へ逃げ去っていくではないか――。
「いやぁぁっ、産業スパイですわ! 捕まえて――!!」
怒りに震える凛が絶叫した。
「チッ、姑息なことするねぇ!」
「そなたらは右のふたりを頼む!」
清四郎・蘭・ななが同時に駆け出した。
蘭の投じた扇子がひとりの足元に命中する。ななが猫ばりの跳躍でひとりを蹴り倒したときには、ひとりの背に硬い十手が振り下ろされている。
それぞれ動けないよう、砂埃の立つ地面に組み敷いた。まさに一瞬の出来事であった。
「くそっ、残りのふたりは逃したか……」
清四郎は悔しげに男たちの去った方角を見据えた。
町方である自分がいながら、凛の渾身の発明を、得体の知れない者どもにむざむざ盗まれようとは――。
己の不甲斐なさを呪った、そのときだった。
「おぅ、おぬしら何をしておる?」
聞き慣れた野太い声。清四郎たちが視線を向けたその先には。
「小山田殿!?」
なんと、逃げおおせたはずの男たちを左肩に一絡げに担いだ南町筆頭同心・小山田が、雑踏の中からのっそりと歩いてくるではないか。しかも右手には、のん気にも食べかけの花見ダンゴがつままれている。
「なにやら血相変えて逃げてきたものでな、思わず取り押さえてしもうたわ」
ブワッハッハと豪快に笑う小山田に、糸が切れたように四人はその場にへたり込んだ。
超常現象としか思えない八丁堀の嗅覚。それはもしかしたら、見廻り中の息抜きの軽食を邪魔された、ほんの些細な仕返しだったのかも知れないが――。
今回ばかりは昼行灯の上司の姿が、仏のように後光さえ差して見えた清四郎だった。
半月後、お江戸両国に新たなる名所が生まれる。
世にも奇怪な回転寿司屋――。
それは新しい物好きの江戸っ子たちの、恰好の噂の的となったことである。
― 新名所・完 ―
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