花房幻影伝 お蘭!
〈厄落とし〉
「あ・さて♪ あ・さて♪ さてさてさてさて♪ さては南京玉すだれ、なのですぅ」
長月(九月)も初旬の、よく晴れた日。にぎわう縁日の片隅に、舌足らずな幼な子の口上が響いている。
「チョイと返せば♪ チョイと伸ばせば♪ 端午の節句は 鯉ののぼりにさも似たり、なのですぅ!」
引きもきらない人波の中。桃色の小袖姿も愛らしい花房三姉妹の末っ子・蓮が、独特の調子で玉すだれを操っていた。
しかし奇妙なのは、その周囲を土塁のごとく取り囲み、異様な盛り上がりをみせる観客たち。
「ウヒョォォ――ッ! お蓮ちゃん日本一っ!(*≧Д≦*)」
「いつもながら可愛いじゃねぇかい…(*´Д`)ハァハァ」
「( ゚∀゚)o彡゚ ょ・ぅ・ι゙ょ! ょ・ぅ・ι゙ょ!( ゚∀゚)o彡゚ 」
生まれながらのカリスマ性(?)が一部の酔狂な殿方たちの心を鷲掴み、蓮の出演予定のある縁日はいずれも大盛況。足元に広げられた風呂敷の上には、おひねりどころか切り餅(小判の束)までもが続々と投げ込まれるのだった。
本日の舞台は、金龍山浅草寺・仲見世通り。お江戸でも指折りの、活気あふれる門前町だ。
江戸開府の折、古刹浅草寺は天海僧正による新たな都市計画により、幕府の祈願所として寺領五百石を拝領。以来、神田明神とともに江戸の東北・鬼門封じの役割を担い、『浅草の観音様』として広く庶民の信仰を集めている。
そしてここは、蓮が現在稚児として預けられている寺でもある。住職の浅草寺栄海は、縁あって蓮が男児である事実を知ることとなった、信頼の置ける人物だ。
稚児のお勤めの傍ら、江戸中の縁日を渡り歩き得意の怪力と大道芸を披露しては日々の生計の足しにする。幼いながらの行動力は、まさに忍びならではといえよう。
「愛してるのです、お兄さんたちっ☆」
雷門脇に据えられたお立ち台の上から、笑顔0文とばかりに蓮がすだれを観衆の中へ投げ込む。その拍子に、膝上丈の小袖の裾が極限までめくれ上がる。
「僕のお願い、きいてくれるのは誰なのですかぁ~!?」
「うぉぉぉ~~っっ!!」
「ありがたや、ありがたや!」
黒の半股引(はんももひき)を穿いているのは先刻承知だが、悲しき性とはこのこと、むせび泣きながらその足元へ殺到する客たち。
と。
「そなた、何をしておる!」
「ほぁ?」
どこからともなく伸びた腕が、すんでのところで蓮を背後へ引き戻していた。
「野郎っ、踊り子様には指ぃ触れんじゃねぇ!」
「何が踊り子だ! 血走った目をしおって、恥を知れ!」
一喝したのは、黒八丈の着流しに紋付の羽織姿、朱房の十手を構えた若い同心だ。
「拙者は南町の定町廻り、矢上清四郎。文句のある者は奉行所まで同道せい」
他でもない、我らが男主人公・清四郎。蓮をかばうように仁王立ちし、睨みを利かせた。
幼な子に罪はないとはいえ、いずれ齢十四を過ぎれば風俗違反でお縄となるレベル。犯罪の芽は早々に摘み取るのが鉄則だ。
群がる者どもを一掃し、満足げにうなずいたそのとき。
「ひどいのですっ、営業妨害なのですよ!」
小さな拳を握り締め、ブチ切れ寸前の蓮が叫んだ。さくらんぼを模った巨大な髪飾りが幼い顔立ちに映えている。
「けなげに働く幼女の金づるを奪うなんて、とんだドグサレ外道なのです」
「そこまで言われねばならぬのか拙者は…?」
見た目の愛らしさの分、殺伐とした単語がよけい鋭く突き刺さる。言葉の暴力とはこのことだ。
「今日はまだ、お昼ご飯だって買えてないのに…。僕、もうお腹すいて動けないのですよ~! ほぁぁぁ!!」
ついにはわんわんと泣き出してしまった。傍目には幼女から金品を強奪している不届き者にしか見えない。
「や、やむを得ん…。先ほど取り巻きどもに申しておったとおり、そなたの願いを何でもひとつだけ聞いてやろう。だから泣き止んではくれぬか、このとおりだ!」
「………」
立場も忘れ気の毒なほどに狼狽する駆け出し同心に、背を向けたまま極悪なドヤ顔でほくそえむ蓮。
そこがすでに魔性の幼女の術中であるとはつゆ知らぬ、清四郎、十九の秋である。
「大将はん、生タコ一貫追加なのれふぅ!」
ほっぺたをモゴモゴ動かしながら、蓮が椅子から立ち上がる。
(結局、寿司屋で昼飯か…)
ここは花房三姉妹の行きつけの店、両国『華屋』。頑固一徹の大将・与兵衛が握る江戸前寿司は、いまや江戸中の評判だ。
財布の中身を確認する清四郎。経緯はどうあれ自分の小遣い程度で幼な子が魔道に落ちずに済めば安いものだ。
「それにしてもお蓮、そなたがあのお蘭の妹御であったとはな」
串之介長屋の元締め・蘭とは顔見知り程度の仲だ。姉も相当の女伊達、蓮の将来を思いため息をついた、そのとき。
「…御免」
「あ、桔梗さん!」
暖簾をくぐり現れたのは、年の頃十五、六とみえる可憐なる巫女であった。
と、ほぼ同時に、桶を抱えて店の奥から躍り出てくる新米の板前・太助。
「大将、今日は活きのいいサンマが入りやしたぜ~♪」
戸口に立っている桔梗の姿を見ると。
「こっ、氷の巫女!?」
桶ごとサンマをぶちまける。大将の向こう脛に桶が命中し、押し殺した悲鳴が店の奥へと消えていった。
江戸総鎮守・神田明神の社務所に咲く孤高の花、桔梗。武家を思わせる気高き物腰に、白銀の短髪と透き通るような白い肌は、誰が呼んだか『氷の巫女』。
鮮やかな緋袴姿は、境内から一歩出ればあまりにも目立ち過ぎる。
「…その者の姉は、所用にて留守にしておる。名代として我が参った」
蓮を引き取りに来るよう遣いを出していたところだ。氷の巫女の噂は清四郎の耳にも届いていたが、蘭たちの知り合いとは。
名乗ろうと腰を上げかけたとき。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」
囁くように桔梗が両手で九字を結んだ。右手の指には器用にお札を挟んでいる。
「悪鬼退散!!」
「なっ、何事だ!?」
椅子へ倒れ込む清四郎。無表情のままずいっと顔を寄せてきた桔梗がその額にお札を貼り付けた。神に仕える立場でありながら仏教の真言をも使いこなすとは、巫女というより陰陽師を思わせる。
「…女難の相が出ておる。まこと祓いたくば、近々明神まで出向くがよい」
「桔梗さんのお祓いは百発百中なのですよ♪」
(そなたらと関わったことが女難そのものだ…)
斜め上からの目線で、遠慮するな祈祷料は要らぬぞ、と桔梗が付け加えた。蓮が世話になった礼のつもりらしいが、もはや脅しとしか思えない。巻き添えを食ってはかなわないと、早々に隅の席へ移動し息を潜める一般客たち。
「はふぅ~、美味しかった! ごちそうさまなのです、清四郎さま。また遊んでくださいね!」
椅子から飛び降り、蓮が至福の表情で手を振る。傍らには山のように積み上げられた空の寿司桶。
仲むつまじく手を取り合い、桔梗と蓮は店を後にしていった。
「また奇っ怪な常連客が増えちまったみたいッスねぇ」
カウンターの奥から、頭にたんこぶを作った太助と脛に軟膏を塗った大将が顔を覗かせる。
「そなたらの心労、察するに余りある…」
熱い緑茶を一気に流し込む清四郎。
嵐の去った『華屋』のホールに、男たちのため息が三重奏となってこだまするのだった。
その後、ふたりと入れ違いで『華屋』へ駆け込んできた蘭により、清四郎は横っ面に手形が残るほどの張り手を食らわせられることになる。
八丁堀を恨んだ先ほどの追っかけ連中により、「蓮が不審な若侍に無理やり寿司屋へ連れ込まれた」というガセ情報が流された結果である。
清四郎が、本格的な厄落としのためひとり寂しく伊勢参りへと旅立っていったのは、奉行所の勤めが南北ひと月ごとの非番(内勤)月に入った、この十日後のことだった。
― 寿司屋・完 ―
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