花房幻影伝 お蘭!
〈ヤガミガカリ〉
とざい、とーざい。とざい、とーざぁぁーい。
久方ぶりにお目にかかりやす。あっしは噺家(はなしか)。秘蔵の艶話を引っさげて、ところ構わず参上いたしやす、流しの語り部にごぜぇやす。
呼び名がなくてご不便とくりゃぁ、サテ。歌舞伎十八番、団十郎演じる当代きっての伊達男からチョイト拝借。『助六』、とでも呼んでいただけやしたら恐悦の極み。
サァサァ、今宵は、『花房組』の華麗なる義賊譚はひとまず休演。我らが男主人公・矢上清四郎にまつわる、チョイト昔の小噺(こばなし)をお届けいたしやす。
お役目に燃える駆け出し同心を悩ませる、世にも不埒な『噂』とはこれいかに?
御粗末ながら、しばしご清聴のほどを――。
「御免つかまつりまする!」
穏やかな晩夏の午後。呉服橋門内、北町奉行所の同心詰め所に、おとないの声が高らかに響いた。
声の主は、矢上清四郎。お江戸の治安を守る警察機構としてこの北町と対を為す南町奉行所に、三ヶ月前着任したばかりの、新米定町廻りだ。
持ち前の猪突猛進な性格と正義感から、目指すは南町筆頭同心。なんとも清々しき若者である。
奥の詰め所から顔を出した中年の北町同心に、清四郎は深々と頭を下げた。
「明後日からの月番、ご苦労様にござります。引き継ぎの日誌をお持ちいたしましたゆえ、御検分いただきたく存じまする」
北と南の名が付いてはいるが、奉行所が、江戸を北側・南側の地域に分けてそれぞれ担当しているわけではない。
外回りを担当する『月番』、書類整理などの内勤を担当する『非番』をひと月交代で繰り返しながら、八百八町の内情をくまなく把握する。単に所在地が南北どちら寄りかというだけのことで、建物の移転により名が入れ替わることもしばしばだった。
今日清四郎が北町を訪れたのは、明後日より月番へ移行となる北町への情報引継ぎのため、先月分の捕り物日誌を届けてくるよう小山田に申し付けられたからだった。
「相わかった。時に、そなた見かけぬ顔だが新入りか?」
「こ、これは失礼つかまつりました! 拙者、三月前隠居いたしました南町の矢上善右衛門(ぜんえもん)が跡取り、矢上清四郎と申します。なにとぞ御教示の程…」
彼にとっては、今日が北への初の顔見世。意気込みすぎて緊張しているようだ。だが、最後まで言い終わらないうちに。
「矢上!?」
中年同心の顔色ががらりと変わる。何か珍しいものでも見るように、清四郎を頭の天辺から足の爪先までまじまじと観察した。
「…あの、拙者が何か」
「ん? いや別に。そうか、そなたが矢上であったか…」
「なにっ、矢上ですと!?」
ちょうど廊下の向こうから歩いてきた若い同心が、その名を聞きつけたように叫ぶ。と。
「ちょっと待て、矢上ってあの矢上か!?」
「もぐもぐ……(食事中)ブホッ!? ゲホッゲホッ、や、矢上っ!?」
「矢上キタコレ――!!(キュピーン!)」
「な、何事にござりまするかっ!?」
奉行所の定町廻りの定員は、南北それぞれ六名ずつ。ひとりは席を外しているようだが、腕に覚えのあるむさ苦しい男たちが揃って自分の名を呼びながら押し寄せてくれば、さすがの清四郎も恐れをなして後ずさるしかない。
わけがわからず涙目になりかけたところに、先ほどの中年同心がオホンと咳払いした。
「いやなに。そなたの新米らしからぬ目ざましい働きは、我ら北町にも聞こえておるものでな」
「!」
弾かれたように清四郎の背筋が伸びる。
「いっそう励むがよい」
「はっ、有り難きお言葉。この矢上清四郎、肝に銘じまする!」
感極まったように心の臓に拳を当てる。ではこれにて失礼、と深く一礼すると、清四郎は足早に詰め所から立ち去っていった。
その姿を見送ると。
「……存外まともそうな若者でしたな」
「いや、拙者はてっきり、なよ竹のような色白の優男かと」
「それがしは歌舞伎の女形(おやま)ばりのイロモノだとばかり…」
口々に意味不明な感想を述べながら噂話を始める。
と、清四郎が去ったのとは逆方角から、今しがた帰ってきたとみえる長身の人影が近づいてきた。眠そうに大あくびし、がしがしと頭をかく。
「ねーねー、ダレ今の。キンゾーんとこの新人?」
「おぉ、都幾川(ときがわ)どの! お戻りでございましたか」
都幾川文吾(ぶんご)。六人の定町廻りの残りの一人――泣く子も黙る、北町の筆頭同心である。
鴨居をくぐって通るほどの長身に、紋付羽織の下はド派手な斧琴菊(よきこときく)文様の着流し。月代を入れないボサボサの茶髪を、馬の尻尾のように高い位置で無造作に括っている。
「南町の新入り、矢上にございます」
「ふーん、矢上ねー」
目尻ににじむ涙をそのままに、かったるそうに目を細める。その背後で、いちばん若い同心が、まとめ役とみえる先ほどの中年同心の耳元にヒソヒソとささやいた。
「…あの。キンゾーとはもしかして、南町御筆頭の小山田金造様のことでございますか」
「ふむ。そなたら若いもんは知らんのか…」
苦笑するように語り出した。
「金造・文吾の二人組といえば、かつては江戸にその名を轟かせた伝説の旗本奴(はたもとやっこ・ならず者)でのぉ。だが、先代の南町のお奉行・遠山景元様に、桜吹雪の文身(ほりもの)を背負った両腕で二人まとめて絞め落とされたのをきっかけに改心し、今では南北の定町廻りを束ねる筆頭同心の双璧だ」
「そ、そんな黒歴史が…」
思わず震え上がる若い同心。
「わしらのような、お二人と同年代の江戸者は、間違ってもこの近所で悪さをしようとは思わんぞ」
「たしかに、小山田様も相当のかぶき者みたいでございますからねぇ…」
彼らの脳裏を、小山田の、ド派手な鎌輪ぬ(かまわぬ)文様の着流しと、二尺(60cm)はあろうかという剛毛の黒髪を天に向かって針のように逆立たせた独特の髪型がよぎった。とんでもない不良上司たちだ。
「――んで? ウチの総員、その南町の矢上にずいぶんご執心みてーじゃん。なんか問題でもあんの、あのひよっこ? 歌舞伎の女形ってどーいうコト?」
「い、いえ、その…」
煮え切らない面々を、無言で凝視する都幾川。根負けした中年同心が、先ほど清四郎から届けられたばかりの引継ぎ書類を手渡した。南町の定町廻り六人分、六冊の捕り物日誌だ。
「小山田様の勤務内容なのですが、なんといいますか……」
表紙をめくる都幾川。渋みの効いたその顔立ちが――次の瞬間、文楽(浄瑠璃)人形のガブ首もびっくりの速さでギャグ顔に変貌する。
彼が悪友の日誌の中に見たものは。
「……え? なにコレ、BL?」
言語体系が未来へ時空旅行するほど衝撃的な内容だった。
時を遡ること二ヶ月――季節は梅雨、清四郎が定町廻りとして着任して間もなくのこと。
常磐橋(ときわばし)門内南町奉行所、書類整理に追われる同心詰め所に怒号が響く。
「小山田殿、これは一体何事にござりまするか!」
「んぉ?」
梅雨の中休み、穏やかな陽の差し込む窓際で舟をこぐ小山田の鼻ちょうちんがパチンと割れた。
視線を上げれば、何やら苛ついた様子でこちらを見下ろしている清四郎の姿。
「北町の皆様への月番引継ぎは、もう五日後にござります。拙者、捕り物日誌の記帳は初めてゆえ、小山田殿の文面を参考にさせていただこうと開いてみれば…」
見事なまでの白紙。それもひと月分丸々だ。
「おぅ、すっかり忘れとったわ。ブワッハッハ!」
「笑い事ではござりませぬ! まったく、先月まではこれほど几帳面に記入されていたものを、今月はなにゆえ…」
解せぬ様子でページをめくる清四郎に、小山田が神妙な面持ちで頷く。
「うむ。どうもわしは昔から手習い(習字)が苦手でのぉ。先月までは、そなたの父御に清書を頼んでおったのよ。ほれ、善右衛門は祐筆ばりの達筆であろう?」
「清書だけではなく、はなから丸投げして二人分書かせていたのではござりませぬか」
「………」
バレバレである。『名は体を表す』のとおり善良で穏やかな人柄の父が、率先して代筆を引き受けていたのは想像がつく。
深い息をつき、清四郎は自分の日誌を差し出した。
「とにかく、今後はきっちりご自分で書いていただきまする。拙者、着任以来小山田殿に付きっきりでご指南いただいておりましたゆえ、日々の雑務や捕り物の記録は、こちらが参考になるかと」
「助かるぞ清四郎。どれ、ちゃっちゃと写して終わらせるかのぉー」
かったるそうに筆を取った。どう見ても、他人の宿題を丸写しする小学生である。
「六月一日:京橋伊勢屋の抜け荷疑惑の探索、大手町路上にて引ったくりを捕縛、矢上清四郎への指南。六月二日:駿河町並木屋の身代金事件解決、潜伏先より短筒(拳銃)三丁押収、矢上清四郎への指南。…これでは埒が明かんのぉ…」
もう集中力が切れたようだ。チラリと盗み見れば、自分の机から鬼のような形相でこちらを見張っている清四郎。どちらが指南役かわからない。
「…六月三日:矢上清四郎と同文、矢上清四郎への指南。六月四日:矢上と同文、矢上への指南」
一気に簡略化されている。
「おぅ、調子が出てきたぞ。このまま書き上げるとしよう! ブワッハッハ!」
ようやくやる気を出した上司の姿を見届け、清四郎は安堵したように自分の書類整理に戻った。
「…ふむ、もう少し省略できそうだのぉ…」
それが、この先彼を奇妙な噂の渦中へといざなう、歌舞伎の女形伝説の幕開けだとも気づかぬまま…。
「八月一日:矢上。八月二日:矢上。八月三日:矢上。………」
無限に繰り返される一日二文字の勤務記録を、淡々と読み上げていく都幾川。周りの同心たちがしどろもどろに語り出す。
「御筆頭の小山田様から、これだけ露骨に毎日名指しされつづけるとなりますと…」
「『矢上』なる新人が、着任数ヶ月を経ても未だ付きっきりの指南を必要とする愚鈍な輩か、あるいは…」
「あるいは、ナニよ?」
日誌に目を落としたまま問い返す。
「その…小山田様が、こ、個人的に、『矢上』を大層お気に召されていらっしゃるのかと……」
「………」
都幾川の背中が小刻みに震え出す。その感情が臨界点に達したとき――。
「ダァ――ッハッハッハッハ!!!」
天を仰いだ都幾川の両目から、滝のような涙が噴き出した。
「なよ竹の優男って、歌舞伎の女形って!! つまりそーゆー……うっゲホゴホッ、ゴゲェェェェッッ」
笑いすぎて過呼吸に陥っている。相当の笑い上戸だ。
日誌の記帳を面倒臭がる小山田が編み出した、究極の丸投げ戦法。本人は「矢上にたずねよ」のつもりで書いているのだろうが、完全に別の意味に受け取られている。
「ヒィィィ、はっ、腹いてぇっ! つーかキンゾーの奴、コレじゃ南町筆頭っつーより、ただの『矢上係』じゃねーかよぉぉぉぉ!」
「あぁ…(遠い目)」
「矢上係…」
笑い転げる上司の口からこぼれた単語に、同情半分、そして何か妙に納得がいったようにうなずく面々だった。
一月後、再び月番交代の日。
南町を訪れた若い北町同心からの貴重なタレ込みのおかげで、清四郎はその『噂』の出所と真相を即座に察することになる。
「ブワッハッハ! こりゃぁ、天地開闢(かいびゃく)以来の傑作だのぉー!」
「……お~や~ま~だ~ど~の~……!!」
その後、奉行所を震撼させた清四郎の怒鳴り声と数時間に及ぶ小山田への説教は、新たな八丁堀の鬼伝説として、南北双方の同僚たちの心に深いトラウマを残す。
―― 一方で。
翌月以降、毎日日誌を書き終えるまで、奉行所の詰め所にて顔を突き合わせ見張り見張られている男二人の姿に。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 地本問屋『兎虎堂』(うさとらどう)がお届けする渾身の黄表紙(戯作本)、『KINZO & HONEY』の続編は、本日発売だよ!」
「キャーッ、ついに『キンハニ』の新刊が出たわよ!」
「ちょっと、あたしが先だってば!!」
「あ~ん! おっさまのならず者時代からの悪友も絡んだ三角関係の行方はどうなったのよぉ~!?」
…正義の味方の「ルーキー×おじさん」コンビの衆道(BL)を描いた好色本(18禁ライトノベル)が城下の娘や奥女中たちに飛ぶように売れ出したことは、本人たちの知る由もないのだった…。
ここをつつけと素振りの棒を、持って踏み出すスイカ割り。
ささいな怠け心がとんだ騒動にハッテンするたぁ、日ノ本の民の想像力の豊かさぁ、古今東西変わらねぇもんにごぜぇやす。
サテ。お名残惜しくはごぜぇやすが、そろそろこの講釈の噂を聞きつけて、矢上の旦那が血相変えて舞台の袖から現れる頃。ここらでお開きとさせていただきやしょう。
引き続き、新章での我らが『花房組』の活躍、どうぞお楽しみの程を――。
お後がよろしいようで。
― ヤガミガカリ・完 ―
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