花房幻影伝 お蘭!
〈片割れ月 ― 凛 ― / 後編〉
「お凛ちゃん、休憩行っとくれ!」
「はいっ、お先に失礼いたしますわ」
暖簾の向こうから響くおかみさんの声に、ひとまず奥へ引っ込ませていただくことにしました。御台様からの文、さっそく読ませていただかなきゃ。
店の離れの質素な小屋。そこが住み込み奉公のわたくしの、自室兼カラクリ製造所ですの。
『花房組』が江戸へ来る前、母上は先遣隊として数名の上忍、つまり先輩くノ一たちを江戸へ送って、わたくしたちの生活の下準備をさせていました。
大店の『天下茶屋』にお菓子職人として潜り込んでいた一人が、「嫁ぐ自分が辞める代わりに、親戚の娘を奉公させてほしい」と推挙してくださり、わたくしは彼女と入れ替わりで、ここでお世話になることになりましたの。
店主の串之介様は、お江戸では『奇人』の名で知られる元気いっぱいのおじいさま。日本橋の町名主(町長)さんでもありますわ。
カラクリ設計の心得のあるわたくし、それに蘭やななたちのことも、たいそう気に入ってくださって。
もともと浅草の長屋で鳶(とび)の皆さんに混じって間取り図引きの仕事をしていた蘭を呼び寄せて、神田錦町の串之介長屋の元締めに据えたんですのよ。
蘭の輪をかけたべらんめぇ口調は、そんな男所帯の経験から身についたものです。
蘭が浅草にこだわっていたのには、理由がありました。浅草寺ご住職・栄海様のもとへ、蓮を稚児としてお預けしていたからですの。
今からちょうど一年前――江戸へ来て間もなくの頃。蓮は一度〈力〉の制御を失って、このお江戸を壊滅寸前に陥れたことがありました。
先ほどお話しした『二度の悲しい事故』の、二度目のほうです。
『百年に一度の巨大台風』とななが大急ぎで噂を流したこともあって、お江戸の皆さんは自宅の雨戸を釘で打ち付け無用な外出をされる方もなく、その夜の雷雨を怪異と受け止めた方はほとんどいらっしゃいませんでした。
『くっそ、蓮も姐御さまもどこ行っちまったんだよ!?』
『――見よ』
桔梗が指した先。容赦なく叩きつける雨の中、不気味に浮かび上がる五重塔の頂に立つ若き殿方。黄金の光をまとい、頭上の雲間に禍々しき赤き龍を従えた、人ならざる存在。それは他でもない。
『蓮……いえ、サスケ!』
彼の左の手から肘にかけて、尋常ならざる量の〈力〉が集約されました。ほとばしる光は、まるで膨大なエレキテルのよう。その腕が鋭く真横へ凪がれたとき――。
『……!!』
真昼のごとく世界を照らす光。それは雷(いかずち)となり、浅草寺の境内、彼をひとりで止めようと立ちはだかった蘭の身体を、無慈悲にも貫きました――。
負傷した蘭は、その後生死の境を十日間さまようことに。そのとき浅草寺にて蘭を保護し、蓮の〈力〉を押さえるお手伝いをしてくださったご縁で、栄海様は蓮を、寺の稚児として預かってくださることになったのですわ。
蘭がわたくしたちを率い、女義賊の頭領としてお江戸の平和を守ろうと決めたのは、それから間もなくのことでした。
「蘭ったら、今頃どうしているのかしら…」
あの十三夜の夜以来、蘭はわたくしたちと会うことを避けています。
ななは泣きながら捜していたようですけど、長屋の様子を見るとたまには帰ってきているようですし、昨日は店子さんたちの今月分の店賃を納めに旦那様のもとへ姿を見せたそうです。
あの蘭が、食中毒で倒れたななを見舞いにすら来ないなんて、よほどの事態なんでしょう。でも、当のなながある日を境にパッタリと騒がなくなったところをみれば、何か確かな情報を掴んだのかも知れません。
そして昨日の夕刻。思えばちょうど蘭と入れ替わるように、『天下茶屋』へと駆けつけていらした清四郎さん。
『お凛どの! お蘭が今しがたここへ立ち寄ったというのはまことか』
きっと無意識なのでしょう、わたくしの腕を痛いほどに掴まれ問われた切なる眼差しは、明らかにいつもの清四郎さんのものではありませんでした。
わたくしの与り知らないところで、何かが大きく動き出そうとしている。その鍵を握ったまま、蘭、あなたは今度もまた、ひとりですべてを背負って勝手に結論を出そうとしている。
…ねぇ、蘭。水臭いじゃありませんの。
わたくしたちは双子の姉妹。魂を分けて生まれてきた、無二の半身のはずですのに。
なぜあなたは一度たりとも、わたくしにその重荷を分けてくれようとはしませんの…?
恥ずかしながらわたくしは、忍びの技では彼女に遠く及びません。
郷の同年代の忍びたちの中で、常に一二の腕を競ってきた蘭と桔梗の修行風景を見るたびに、どんなに桔梗を羨(うらや)んだことか。
わたくしたちを護るために蘭がいつも命を張って闘ってくれていることは、痛いほどわかっています。けれど。
――時々、不安でたまらなくなるんです。
あなたや花房家にとってわたくしは、ただの頼りない、出来損ないのお荷物なんじゃないかって…。
ハッと我に返りました。やだ、なに考えてるんですの、わたくし。
あろうことか御台様からいただいた文を読みかけたまま物思いにふけるなんて。あわてて手元に目を戻しました。
御台様の文には、『花房組』が小萩さんを助け大奥の闇を暴いたことへの、深い感謝のお言葉が記されていました。
できることなら母上や郷の皆さんに褒めていただきたいけれど…とても無理な話ですわね。
『時にお凛、小萩に持たせた包みを開いてみよ』
「…?」
ふいの仰せに、わたくしは風呂敷包みを解きました。そこには硬い表紙の大きな書物。目に飛び込んできた文字に、わたくしは危うくひっくりかえるところでした。
「これって、御禁制の洋書じゃありませんの!」
日ノ本の国は今、鎖国の真っ最中。長崎の出島にて交易を許された清国と阿蘭陀(オランダ)以外からの舶来品なんて持ってたら、たちまちお縄にされてしまいますわ!
なぜ御台様はこのようなものを…?
こわごわ表紙をめくってみると。
それは、とある遠い西の国の風景を描いた絵画集でしたの。ちょうど小萩さんの集めてらっしゃる『富嶽三十六景』みたいなものですかしら。
内容は飛び飛びにしか理解できませんけど、どうやら自国の文化を他国に紹介するための本みたいですわ。
噂によれば、海の向こうでは年に一度『万博』なる華やかな祭が開かれて、それぞれの国が自国の名物や芸術品などを持ち寄って品評し合うとのこと。この本もきっと『万博』向けに作られたんでしょう。
『シュライヴガルド』、という名のその国の文化は、日ノ本の国とは似ても似つかないものでした。
石造りの建物に、色とりどりの宝石を散りばめた鮮やかなお召し物。まぁ、『魔法』なる能力を使う方々もいらっしゃるみたい。剣や杖を手にした殿方やご婦人が勇ましく戦ってらっしゃる絵もあります。
そして。その中の一枚の絵に――わたくしの目は引き寄せられましたの。
「これは…お女中さん…?」
装いは日ノ本のお女中とはかけ離れていますけど、長い柄のついたタワシを持っているから間違いありませんわ。わたくしは御台様の文に目を戻しました。
『気づいたか。その女子(おなご)たちは、『めいど』と呼ばれる住み込みの奉公人だそうだ。わらわも噂に聞くのみゆえ定かではないが、異国の女中たちは皆、自ら武器や飛び道具を持って戦い、有事の際は命を賭して主を護り抜くという』
わたくし、どうしてしまったの? 心の臓が、早鐘を打つように激しく高鳴ります。
『わらわは忍びのそなたに、異国の『めいど』の面影を見た』
「――!」
『奥での出世の道は途絶えたが、そなたはいずれ、江戸や日ノ本などという狭い世界とはかけ離れたどこかで、そなた自身の天職と必ずや巡り会うことになろう。この書物がその助けになることを、心より願っている。 ――撫子』
「メイ、ド……」
指を伸ばして。本の中、丈の短い着物にひだ飾り付きの前掛けをまとった、可憐な少女の絵姿に触れてみます。
そのときでしたの。わたくしの心に、まだ見ぬ異国の街の古びた教会の鐘の音が、夜明けの刻を告げるかのように、高らかに響き渡ったのは。
――それは、予感。
やがて彼の地でめぐり逢う冒険の日々。そして一風変わった仲間たちと、忘れ得ぬ最愛の女性(ひと)――。
「………」
パタリと本を閉じました。御台様の文と一緒に再び風呂敷の中にしまい込むと、踏み台に乗って、天袋の奥深くへと一気にそれを押しやりました。
…もし、わたくしに違う生き方があったとしたら?
先ほど小萩さんとお会いしたとき脳裏をかすめた問いが、甦ります。
「そんなもの、ありません。あってはならないのですわ!」
両手でぎゅっと耳を押さえました。
闇に生き、いずれは闇に消えていく。
蘭、蓮、なな、桔梗、強い絆で結ばれたかけがえのない親友たちとともに。咲き誇る花々の一瞬の輝きを、心のよりどころにしながら。
――けれど、なぜでしょう?
抑えきれない熱い想い。それはわたくしを虜にして、遠い海の彼方へと連れ去ろうとする。
「…蘭、お願い。はやく、はやく帰ってきて…」
叱ってほしい、いつものように。
そして導いて。闇夜に輝く月となって。
出来損ないの妹を。
機械工学の理論なんかじゃとても制御しきれない、弱くて脆いこの心を――。
窓の外、真昼の空に浮かぶのは、せつないばかりの片割れ月。それはまるで、離れゆくふたりの未来を暗示しているかのようでした。
― 片割れ月 ― 凛 ―・完 ―
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