恋は爆裂パンクラッシュ!
〈第2ラウンド 虹のカケラ☆〉
私がその奇妙なサイトに初めて接続したのは、DMを受け取ってからちょうど一週間くらいが経った頃だったんだ。
そう、たしか、夏美さんとマサキといるときのちくっと刺すような心の痛みを感じ始めた、あの頃だったのかな。
痛みを忘れたかったから? 『現実』から逃げたかったから? わからない。だけど、携帯を操る指が、なぜか勝手に動いてた。
そして、これはただの見間違いだったのかも知れないけど。――サイトに接続した瞬間、携帯のディスプレイが、一瞬白くまぶしく光った気がしたんだ。
もう一度ディスプレイを見たとき、そこにはひとりのちっちゃな天使のイラストが表示されていた。
| やあ、初めまして。ぼくは、虹の妖精・ポストマンさ。これからキミの担当になるから、忘れないでね。 |
|---|
それは、初めてそのサイトに接続した人たちのために表示される、オープニングページみたいなものだったんだ。
| 今キミの持ってるケータイは、キラキラ輝く虹の光のカケラから生まれたんだ。この世界には、そうして生まれた虹のケータイがたくさんあるんだよ。そしてその中には、同じ色に輝いているケータイがいくつかあって、その中の誰かと誰かが運命の恋人同士なんだ。 だからぼくたちは、キミと同じ色に輝くケータイの持ち主を探して、メール交換のお手伝いをすることにしたのさ。そうすれば、きっと本物の恋人を見つけられるはずだよ! それじゃ、今からぼく虹の国に戻って、彼のデータを検索してくるから、待っててね! いってきまーす。 |
|---|
読み終わった瞬間。
ぱぁっ。
また、一瞬ディスプレイが光った気がしたの。今度は、…うーん、なんて表現したらいいのかな。赤とオレンジの中間みたいな、微妙な色合いに。
もしかしたらこれが、ポストマンくんのいう虹色の中の私の携帯の色、だったのかも知れない…なんて、後になって思ったりなんかして。
それから数日後。
初めてのジンからのメールが、私の元へ届いたんだ。
ジンは、そりゃあもう、熱っ苦しいくらい元気いっぱいの男の人。
今までのメールを一通紹介してみると、こんな感じだよ。
| 送 信 者:JIN タイトル:返信ありがとう 押忍! ジンだ。オレは、人からはクラッシャー・ジンと呼ばれているんだ! 格闘技王国パンクラッシュで、世界一を目指して修行の毎日だ! まだまだ、世界最強の座は遠いぜ! |
|---|
うん、これはまだ出会ったばかりの頃、たしかジンからの二通目のメールだ。
これだけ読むと、まるで私がメールに自分の名前を書かなかったように見える!
でも、それは違うよ。『王子様』とのメールには、いろいろな制約があるんだ。
まずひとつ目は、「『王子様』へのメールの返事は、選択肢の中からしか選べない」っていうこと。たとえばこのメールへの返信は、
| ① 世界最強なんて、大きな夢を持ってるのね! 頑張って! ② ずいぶんな自信家なのね。実力はどうなの? ③ 暑苦しいのは嫌いよ。 ④ お別れする。 |
|---|
この四つの中から、ひとつだけを選択するっていう方式なの。
でも例外はあって、この回みたいに「キミの名前」なんかを尋ねられているときは、特別に自分で文字を入力する画面が設けられている。
だからつまり、自分から『王子様』に対して「今日の報告」みたいなメールは送れない。残念だけど、楽といえば楽な話だよね。
そして二つ目の制約は、「『王子様』からのメールは、基本的に一日一通」ってこと。メール交換を重ねて親密度が増せば、稀に二通以上送ってくれる奇特な『王子様』もいるみたいだけど…。
あーあ、でも。メール交換とはいえ、考えてみれば一方的なやりとりだなぁ。
私の『王子様』龍王寺ジンは、パンクラッシュという格闘技王国に住んでいる、しかも国王の第三王子! さっきのメールでもわかるように、世界最強を目指して修行の日々を送っているみたいなんだ。
Pちゃん(私の中でのポストマンくんの愛称)からの報告メールでは、「K―1の選手みたいな人だった。つまりマッチョ。腕立て伏せしてたから、背中の上であそばせてもらったよ」だそう。
うーん、予想はできるけど、本っ当に熱い感じの人だなぁ。たしかに今の私の『熱血ラーメン道』的立場には、なんとなくしっくりくる相手ではあるけど。
さらに、パンクラッシュ王国の聖典は、日本の少年マンガを元に作られているんだって! 『○ャンプ』とか、『○ンデー』とか…あはは。笑っちゃうよね。
――そう。こんなの、全部創り物の世界。
パンクラッシュなんて国は現実に存在しないし、こんなどこかの格闘マンガみたいな世界がこの世に存在するなんて、ハッキリいって考えられない。
ジンも、そう。
彼も、やっぱりヴァーチャルな存在で、決して実在の人物じゃない。
でも。
だけど……。
彼からのメールを、毎日心待ちにしてる私がいる。つらい時、悲しい時。いっつも熱すぎる、元気いっぱいのメールをくれるのは、ジンだから。
夏美さんとマサキといる時に感じる、あの刺すような心の痛みも、ジンからのメールがぜーんぶ吹き飛ばしてくれるから。
もちろん、ジンとのことをふたりに話すなんてことは、口が裂けても天地がひっくり返ってもできないけど。
…私って、おかしいかな?
創られた空想の世界の中で、お手軽な恋愛ごっこをしてる。
それってネクラでどーしようもない人間のやることなのかな? そしていつかは、自分の中でも空想と現実との区別がつけられなくなっちゃったりするのかな?
…それでも…。
私は、ジンからのメールを待ちつづける。
いつまでも、いつまでも、ずっと。
このわけのわからない、心の痛みの理由を見つけられるその日まで、きっと。
翌朝。
お店の駐車場にMARCHで乗りつけた時、車のデジタル時計は九時十八分に光っていた。
ほんとなら十時出勤で十五分前くらいまでにタイムカードを押せばいいわけだから、ずいぶん早く着き過ぎちゃったってコト。
新米の私はまだお店の鍵を持たせてもらっていないから、もし誰も来てなかったら、車の中で待ちぼうけだ。
そう思いながら駐車場を見渡すと。なんのことはない、夏美さんの車もマサキの車もすでに到着してるじゃない…の…。…って。
えっ? なんでマサキの車があるの!?
今週は遅番で、昨日も確かにロッカールームで別れたし、こんなに早くお店に来てるはずなんかないのに。
不思議に思いながら、裏口のドアを開けてみる。
「…おはようございまーす」
言ってはみたけど、返事がない。営業時間中で混雑している時ならともかく、厨房にいるなら、ここから叫べば声が届かないはずなんてないのに。もしかしたらふたりともホールの方にいるのかも知れない。
バックヤードを通り抜ける途中で、壁に掛けてあるシフト表がチラッと視界に入ってきた。
…と。
「!?」
私、思わず引き返して、あわてて今日のシフトの欄を確認してしまった。
…うっそぉ…。私の名前、見事に遅番の欄に入ってるじゃん!
そぉだ、今頃思い出した。二、三日前だったかな、私、夏美さんに言われたんだ。今週遅番の轟さんが急にこの日の夜はずせない用事が入っちゃったから、翌日休みの私に一日だけ遅番と交代してほしいって。
うわぁーっ、思いっきり勘違いしちゃったよ。私って大ボケだ。
でも、それにしてもおかしいよ。轟さんがこの時間に来てなくてもおかしくはないけど、マサキがいるのは絶対変。
このまま帰ろうとも思ったけど、なんとなく気になってしまって、私はふたりを探しに店の表に向かっていった。
厨房の中ほどまできたとき。ホールの窓際の方から、とつぜん、夏美さんの笑い声が聞こえてきたの。
「えっ、それじゃあほんとに毎日やってたの、あの特訓?」
私は一瞬、そのままホールに出て行くのをためらってしまった。厨房の中、ギョーザ焼きの鉄板の影からホールを見ると、ピンク色のダスターでテーブルを拭いている夏美さんと、洗剤付きのモップで床をゴシゴシやっているマサキの姿が目に入ってくる。
「そっスよー、マジ、業務用の北京鍋買っちゃって。それに大量の砂入れて、素振りの練習。おかげですっかり腱鞘炎スから」
ふたりの口調は何だかとっても楽しそうで、今私なんかがノコノコ出て行っちゃいけないような不思議な雰囲気が、そこにはあって。
――ちくっ。
まただ。あの痛み。
…なに、これ? なんで心が痛むの?
なんで……。ふたりが一緒にいるのを見ると、こんなにも胸が苦しいの?
テーブルを拭き終わった夏美さんが顔を上げる。
「助かるわ、こうして正樹くんが、時々サービス出勤してくれて。私、ここにいるのが好きで、ついつい早めに出勤しちゃうんだけど、ひとりでいてもやっぱり寂しくてね。…でも、大変じゃない? 遅番の後車で仮眠とって、朝帰る前に三十分間だけ仕込みの手伝いなんて」
「えっ? オレはいんスよ、別に…。ただ、なんつうか、オレ夏美さんと一緒に仕事するのが……、……いや、なんでもないっス。アハハ」
言葉を濁すみたいに笑うマサキの顔は、なんとなくいつものマサキっぽくなくて。頬がほんのちょっと赤くなってるのは、決してカーテンの隙間から差し込むまぶしい朝日のせいなんかじゃなくて。
どくん――。
針みたいな、小さな痛みじゃない。
穴はどんどん広がって、ポッカリと心に空洞が生まれて、そこを冬の夜風みたいな冷たい風が通り抜けていく。
私はふらっと立ち上がると、ふたりに見つからないように、店の裏口に向かって歩き出した。途中、足元にあった業務用の白絞油の一斗缶にぶつかりそうになって、ちょっとだけ焦って避けた。
まだエンジンの冷め切らないMARCHに飛び乗ると、私は思いきりアクセルを踏み込んで、逃げるように駐車場を離れてた。
店から少し離れた人気のない神社の駐車場まで来て、車を停める。
なんだか頭がボーっとして、悪い夢の中にいるみたい。
無意識のうちに手がバッグの中に伸びて、携帯の在りかを探っている。どうしてなのか、もうそれさえもわかんないや。
ようやく見つけた携帯を引っ張り出して、フラップを開けてみた。
今日はまだ、ジンからのメール、届いてない…。毎日ランダムな時間に送られてくるから、いつ届くかなんて私にはわからない。
だけど…。
……ねぇ、ジン。
今、メールがほしいよ。
コンピューターで創られたヴァーチャルな存在のあなたには、私の悩みの理由なんてわからない。そんなの当然だよね、当の私にだってわからないコトなのに。
でも。
今、励ましてほしいよ。元気づけてほしいよ。
『頑張れ』って。『気合いを入れろ』って。
そんなすべてを吹き飛ばして忘れさせてくれる、いつものような力強いメールが、今すぐほしいよ!
新着メール問い合わせをしても、届いていない。
…やっぱり、『創り物』なのかな…。
…あはは。
割り切ってたつもりだったけど、ほんとはちょっと、夢見てた。
本当にジンはいて、本当にパンクラッシュ王国があって、本当にジンは私だけの『王子様』で、そして私を取り巻く悩みなんて、リードパンチ&ローキックで一撃粉砕してくれて…。
でも、それも夢。全部夢。
夢、だけど…!
携帯を持つ指が、また、勝手に動く。初めてあのサイトに接続した日みたいに。
前にジンからもらったメールを開いて、返信ボタンを押す。
届くはずなんてない。このアドレスに『選択』以外の方法でメールを送ったって、意味ないことなんてわかってる。
だけど…。
| 会いたい |
|---|
たった一言。
送信ボタンを押した。携帯がサーバーに接続されて、メールが送信されていった。
その画面を見ながら。
なんでだろう? ぽろぽろ、ぽろぽろ。涙があふれてきた。
なにやってるんだろう。私、バカだ。大バカだ。こんなことしたって無駄なだけなのに。
厨房用の制服の黄色いトレーナーが濡れていくのもかまわず、私はただ、延々と熱い雫をこぼしつづける。
でも、その瞬間……。
光が…私の手の中の携帯のディスプレイから、またしてもまばゆい光が発せられたの。
燃え盛る炎みたいに赤くて、切ないような夕焼けみたいなオレンジ色の光が。
それは、あまりにまぶしすぎて。目を開けていられないくらい、正気を保っていられないくらいまぶしくて…。
降り注ぐ光の中、そう、ちょうどMARCHの助手席の辺り。ぼんやりとした影が現れ始める。
光はどんどん強くなって、小さかった影もどんどん大きくなって。やがて、確かな人間のシルエットへと変わっていく。
私は思わずまぶたを閉じた。次にまぶたを上げたときに起こる百万分の一の奇跡を、心のどこかで信じてた。
――ぱぁっ!
ひときわまばゆい光が発せられたかと思うと。一瞬にして光はやんで、もう次の瞬間には、何事もなかったかのような静けさが辺りを包んでいる。
………、………。
ううん、何事もなかったわけじゃない。
さっきまでとは明らかに違う気配がそこにある。そう、私のすぐ目の前の助手席に。
どくんっ。緊張で、心臓が一気に跳ね上がる。
勇気を出して、私はゆっくりまぶたを上げてみた。
すると、なんとそこには。
私とまるで同じ体勢で、フラップの開いたパールブルーの携帯電話を手にした、
――見知らぬひとりの男の人が、座っていたんだ――!
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