花房幻影伝 お蘭! ― 出陣の巻 ―〈第三幕〉

花房幻影伝 お蘭! ― 出陣の巻 ―

 

〈第三幕〉(最終話)

 数日の後――鏡のような満月が浮かぶ薄明かりの夜。
 八百八町の安眠を叩き壊すように、御用提灯の群れと怒涛のごとき足音が往来を駆け抜けていく。

「賊はあちらへ逃げたぞ。追え、追えぇ――いっ!」

 馬上で配下の者どもを叱咤する、壮年の与力。

 火付盗賊改メ方――放火魔や窃盗団をはじめとした凶悪犯罪集団捕縛を専門とする警察軍による、深夜の捕り物出役である。

 物々しいその光景を眼下に感じながら、息を潜める五つの影。

 最後の足音を見送ると、瓦屋根の向こうからひとりの娘が恐る恐る顔を出した。

「…どうやら撒いたようですわよ」

 年の頃は十五、六。なぜか闇夜にまぶしく浮かび上がる水色の忍び装束を纏い、腰まである可憐な黒髪を惜しげもなく夜風になびかせている。

「ちょろいもんですね、凛ねえさま♪」

 ぴょこんと隣に顔をのぞかせるのは、こちらも鮮やかな桃色の装束を纏った六、七歳と思われる幼女。髪にはさくらんぼのような巨大な髪飾りを着けている。どうやら姉妹のようだ。

「あぁ、それにしても…このような生活でよろしいのかしら、蓮」
「ほぁ? どしたのですか、いきなり」
 歌舞伎の女形のごとく大げさによろける姉に、問い返す。

「たしかわたくしたち、拠点作りとは名ばかりで、将軍様を暗殺し幕府を転覆させるためにお江戸へ送り込まれたはずでは……ひゃぁっ!!??」

 突然奇声をあげ、身体をビクッと硬直させる。見れば、背後の闇から伸ばされた手が、凛の小ぶりな両の胸をわしづかみにしているではないか。

「バッカヤロぉ! 滅多なこと口にすんじゃねーよ!」
「ふ、ふぇぇ~ん! わかりましたから、や、やめてください、ななぁ~~っ」
 豪快に這い回る小さな手。危険極まりないはねっかえりは、菜の花色の装束に身を包んだ少女、なな。

「ほぁぁ~。ふたりとも同じくらい危険なのですよ~」

「…同感だ。せいぜい捕り方どもを呼び戻さぬことだな」
「言っちゃってくださいなのですっ、桔梗さん!」

 音もなく新たに背後に現れた影が、抑揚のない声で釘を刺す。

 凛と同い年か少々年上とみえる娘、名を桔梗。刃を思わせる白銀の短髪と、仮面のように冷え切った表情が、三人とは正反対の大人びた印象を与える。纏うのはこれぞ忍者といえる漆黒の装束。

「なんだい、あんたたち後悔してんのかい?」

 凛たちのいる屋根からみて、更に一段月に近い場所――火の見櫓の上から降り注ぐ声に、四人がハッと息を呑んだ。

「蘭!」
「蘭ねえさま」
「姐御さま!」
「…頭領」

 そこには、落ち着いた紺色の装束に身を包み、艶やかに目を細める娘の姿。
 五人組のリーダー格のようだ。凛と顔立ちがそっくりなのは、ふたりが一卵性の双子であるゆえ。

 顔にかかる、少々癖のある長い黒髪をかき上げながら、言ってのける。

「あたしゃ、幕府転覆なんて大それたことにゃ興味ないのさ。武家民百姓、生けるものすべてが笑って暮らせるような世の中になりゃいいたぁ思うがね」

 そこで言葉を切る。勝気げな蘭の表情に、なぜかふいに淡い斜がかかる。

「…ただ、凛の言うとおり、郷の方針には逆らうことになっちまった。いずれ母上…女長(おさ)に知れりゃあ、あんたらもあたしもただじゃ済まない。それでも…」

「何を言ってますの!」
 珍しく言いよどむ蘭を遮り、凛がすっくと立ち上がった。重心を考えず屋根を突き破るのではないかと、桔梗が無表情のまま支える。

「ごめんなさい、蘭。本当はわたくしも、こんな理不尽な任務なんてどうだってよいのですわ。ただ、このお江戸という地で、あなたたちと平穏な日々を過ごせれば、それで…」

「僕もなのです。今だって、とぉ~っても楽しいのですよ、蘭ねえさま」

「水臭ぇこと言わねーでくださいよっ! ななは、ひとりになったって姐御さまの味方ッスから!」

「…そなたの心のままに」

 ひな鳥のように口々騒ぎ出す四人…いや、ひとり冷静な桔梗も含めた四人を、蘭はぐるりと見渡した。
 自分が守るべき、なによりも大切な者たち。

(あの青くさい同心にも、やっとその重みがわかったのかも知れないねぇ)

 ふと脳裏をよぎるのは、いつだったか日本橋の袂で、手柄を得たにも関わらず顔面蒼白で立ちすくんでいた若者の姿。

「? なにを笑ってるんですの、蘭?」
「…いや」
 思わずにやついていた口元を引き締めるように、ぱちんと両手で頬を叩いた。呆けている暇はない。自分たちにはまだ、今宵の最後の大仕事が残っているのだ。

「じゃ、行くとするかねぇ」

「了解!」
「ですわっ!」
「なのです!」

 若き頭領の号令に、五つの影が夜風のように闇の中へと掻き消えた。


 満月の夜、あくどいやり口で銭を荒稼ぎすると噂の呉服問屋の蔵から、霞のように消え去った千両箱。
 その行方は、火盗改メ方の必死の捜査もむなしく、ついに突き止められることはなかった。

 一方、事件の翌朝、軒の傾きかけた裏街の長屋の庭先に、大量の小判が投げ込まれているのが発見されたのだという。

 しばし八百八町を騒がせた奇っ怪なふたつの事件。果たして繋がりがあるのか、これいかに。


 もしも貴方が、満月の晩に闇を駆け抜ける五つの影を見つけたら、どうか密かに問うてみてほしい。

「あんたたち、一体なにもんだ…?」

 その頭領がきっと答えてくれるだろう。気高く咲き誇る花のような、大輪の笑みをたたえて。

「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。弱きを助け強きを挫く――

 女義賊『花房組』たぁ、このあたしたちのことさ!」

― 出陣の巻・完 ―

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