花房幻影伝 お蘭!〈女心と秋の空 ― 清四郎 ―〉

花房幻影伝 お蘭!

 

〈女心と秋の空 ― 清四郎 ―〉

 「直感」なるものは、なかなかに厄介な代物だ。

 それは時に、己自身ですら気づいておらぬ芽生えかけの感情を、白日の下に否応なしにさらけ出すきっかけともなる。

 その騒動も、拙者のこのところの度重なる厄災の種――くだんの三姉妹との、些細な日常のやりとりから始まったのだった。


「清四郎さま見~っけ、なのです!」
「っ!?」

 往来にて、不意に羽織の裾にしがみついてきた腕に振り向けば、満面の笑みで見上げてくるお蓮の姿があった。

 時刻は夕刻、ところは両国広小路。
 回向院参りと、境内にて催される相撲の興行目当てに訪れる客たちで溢れるこの界隈は、千代田のお城(江戸城)から見て大川(隅田川)を渡った「向こう両国」と称され、江戸でも屈指の行楽地となっている。

「お蓮。そなたは毎度ながら、普通に声をかけられぬのか…」
 半ば諦めつつぼやけば、さらに雑踏の中からゆっくりと追いついてくるもうふたつの影。

「まあ、清四郎さん! 奇遇ですわね」
 高い位置でまとめられた豊かな黒髪を揺らし愛らしく笑むのは、お蓮の姉・お凛どの。
 そして。

「お勤めかい、清四郎? 相変わらずご苦労なこったねぇ」
 桃割れの日本髪に子気味よい江戸っ子口調が艶やかに映える、お凛どのの双子の姉・お蘭。

 ころころと重なり合う三つの声は、華やかなる鈴の音にも似ている。

 お蘭たち三姉妹、そして彼女らを取り巻くはねっかえりの瓦版売りと孤高の巫女。
 至極平凡な見習い奉行所同心であった拙者の生活に突如転がり込んできた、つむじ風のごとき女子(おなご)たちだ。

 生国も、親御の生死も、あえて尋ねたことは一度もない。

 上野国は七日市藩の郷士の四男坊として生まれ、縁あって遠縁の矢上家の養子に迎えられ江戸へ赴いた拙者と同じように、諸国から流れ流れてここへたどり着く者たちは山ほどいる。過去の詮索など無粋以外のなにものでもない。

 良くも悪くも、お江戸とはそういう場所なのだ。

「今日は、勧進大相撲の秋場所の千秋楽ゆえ。興奮した客たちが帰りがけに騒ぎを起こさぬよう、念入りに見廻っておるのだ」

「そういや、春場所の結びの一番で前頭が大関を負かしたときゃ、興奮冷めやらない連中が両国橋から大川へ次々飛び込んだっていうじゃないか」
「ほぁ~、それは迷惑な話なのです」

 いつの時代も、度を越した応援集団の凶行には目に余るものがある。未遂で防げるに越したことはない。

 何気ない世間話に花を咲かせながら――次の言葉を探し三人を振り返ったときだった。

「…?」

 ほんの偶然であった。彼女らの纏う空気の微かな「色」に、拙者が気づいたのは。

「そなたらは、縁日にて買い物か? 何やら今日は、やけにめかしこんでおるようだな」

「さっすが清四郎さま! すぐに気づくなんて、捕り方さんの鑑なのですっ♪」
 嬉しげにお蓮が叫ぶ。その右手に、見慣れぬ小振りの巾着が揺れた。
 色とりどりの縮緬(ちりめん)を幾重にも縫い合わせた、斬新な装丁だ。

 よくよく見れば、お蘭とお凛どのもそれぞれに見慣れぬ小物を身につけている。

「じつは今朝方、蘭の長屋の小間物売りの新吉さんが、上方への仕入れの旅からお戻りになって。これお土産にいただきましたのよ」

 にっこり笑むお凛どのの腰には、蝶々結びにされた平織りの錦糸の紐に真珠のような飾りの付いた帯締め。

 なるほど、よくは解らぬが、流行りの京土産の装飾品を身につけ颯爽と町に繰り出したい、年頃の女心というわけだ。

「まったくあんたたちゃ、遠慮ってものを知らないのかねぇ」
「そーゆう蘭ねえさまこそ、ちゃっかり挿してるのですよ、そのかんざし」

 お蘭の黒髪に揺れる花かんざし。
 幾重にも連なる薄紫の飾りが藤棚を思わせる。まるでもう幾年も前からその場所にあったかのように自然に、彼の者の笑顔の傍に咲き誇っている。

 その立ち姿を改めて見た途端――疑いようもないひとつの直感が、落雷のごとく拙者の脳裏を駆け抜けていったのだった。

「…その新吉とやら、お蘭に気があるようだな」
「はぁ?」

 お蘭がいぶかしげにこちらを見た。さすがに言葉が足りなかったか、お凛どのとお蓮もきょとんとして振り返る。

「聞いてなかったのかい、あんた。新吉っつぁんはあたしらそれぞれに土産をくれたんだよ? べっつにひとりだけ特別ってこたぁないじゃないか」

 ま、たしかにあたしほどの美形じゃ想いを寄せる男の一人や二人いてもおかしかないがねぇ、と勝手に頷くお蘭の声を無視しながら、ふと思案してみる。

 とにかく揺るがぬ確信があった。だがあえて言葉にしようとなると、なかなかに厄介なものだと思う。

 色鮮やかな装いに身を包み、日の当たる場所で大輪の花と咲き誇る彼女らの気持ちが、公儀の一歯車として生きる平凡な拙者に理解しがたいのと同じように。

 だから、ついこんな言葉が口を突いた。

「――男ゆえ」
「…?」

 重なった視線が無防備に揺れる。いつかと同じガラス玉のように澄んだ瞳は、拙者の心を見透かす鏡だ。

「男ゆえ、拙者には新吉の想いがわかる」
「なっ……!?」

 次の瞬間――衝撃とともに世界が回った。
 横っ面に張り手を食らわされ路肩へ吹っ飛んだのだと気づいたのは、さらに一瞬の間の後のこと。

「なっ、何をする!?」
 首の骨が折れなかったのが奇跡だった。無様に尻餅をついたまま、関取も裸足で逃げ出したであろう強烈な決まり手に抗議しかけたとき。

「うるさいねぇっっ!!」
「…?」

 見上げたお蘭の顔が、迫る夕焼けにも引けをとらぬほどの鮮やかな朱に染まっていた。この者のかような表情を見るのは初めてで、さすがの拙者も面食らった。

「寝ぼけたこと抜かしてんじゃないよ、このすっとこどっこい! あんたがあたしらの前で一丁前に『男』面しようなんざ、百年早いってんだよ!」

 声の限りに啖呵を切ると、慌てるお凛どのたちを置き去りに、さっさと橋の向こうへ歩き去っていく。女心と秋の空とはこのことだ。

「一体拙者が何をしたと申すのだ!?」

 無論答える声などない。
 そして、うやむやにしたままだった、あの者の問いに対する拙者の中での明確な「答」もまた、結局は見つからぬままなのだった。

 …まこと厄介だ。行き場のないぼやきを飲み込む。

 着物の裾を払い、ずり落ちかけた朱房の十手を帯に挿し直したとき。三人の姿は、とうに川向こうの雑踏の中へと消えた後だった。


 ここから先は、拙者の与(あずか)り知らぬ話。

 数歩遅れて姉の背を追いながら。

「もし何も考えずに言ったのなら、相当の天然なのですよ、清四郎さま!」
 女の子の敵なのです! と、いまいましげに毒づくお蓮に、苦笑交じりでお凛どのが返す。

「まったくですわ。素直に『お蘭がいちばん似合っているからだ』とおっしゃればよかったのに…」

「――っっ、なんか言ったかい!?」
「いいえ、なんにも? うふふっ♪」

 その「直感」の真の意味を拙者が知るのは、まだ当分先のこと。

 西の空、川面に映る燃え立つようなほおずきの実が、静かな漣(さざなみ)に揺れている。

― 女心と秋の空 ― 清四郎 ―・完 ―

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