ダンジョン・コンツェルト ― 潜入! 恐怖のカラクリ屋敷 ―
〈Chapter 10:すべての終焉…夜明けの向こうで〉
…苦しい。
心臓が早鐘のように高鳴り、今にも壊れてしまいそうだ。
(………)
重いまぶたを押し上げる。目の前に広がるのは、見渡す限りの漆黒の世界。確かなものを求めて腕を伸ばすが、何も掴むことはできない。
(ここは、どこなのですか…。僕はいったい…)
虚空の中にたたずみ、途方に暮れる蓮。
この深い闇には、見覚えがあった。
女として忍びの郷へと戻り、姉たちと厳しい修行に明け暮れていた、ある日――。
ふと、感じた違和感。
…どうして僕は、本当の自分を隠さなければならないのでしょう?
呪われた男児…鬼子、だから? 僕は、不吉な存在だから…?
途端――全てを覆いつくすような厚い闇が、初めて視界を覆った。抜け出そうともがくが、手足を引っ張られているかのように動けない。
ひたすら泣き叫んで……。
次に正気を取り戻したとき。最初に視線を合わせた母の、怯えたような悲しい瞳は、今でもはっきりと覚えている。
そして、そんな自分を抱き上げ、「何も恐れることはない」と抱きしめてくれた、ふたりの姉たちの温かな腕の感触もまた、生涯忘れることはないのだろう。
(僕は、なんてことを…。ねえさまたちを手にかけるなんて…)
涙が頬を伝う。小さな身体で背負うには有り余る、果てなき絶望。
(僕は、壊れてしまうのでしょうか…)
諦めたように息をつく。このまま闇に身を委ねようと、瞳を閉じかけた…。
そのとき。
――危なっかしいなぁ、蓮さんは。
光のように差し込む声。
ハッとまぶたを上げた蓮の目前にあるのは、困ったような笑みを浮かべる、はちみつ色の髪の剣士の姿。
(く…クリンさま!?)
――人間が、ひとりであんな膨大なエナジーを持ってるなんて。いつか、心も身体も千切れちゃいますよ?
その言葉の意味の半分も、今の蓮には理解できない。わかるのはただ、自分はひとりではないということ。
(でも僕は…どうしたらいいのかわからないのです! 僕にはまだ扱いきれない、この大きな〈力〉を…)
言いかけた蓮の頬に、クリンの手のひらが触れる。向けられる瞳は、いつか見た捉えどころのない虹色に揺らめいている。
――少しだけ…ほんの少しだけ、きみの溢れそうになっている余剰な〈力〉を、体外へ放出するんです。…できますよ、蓮さんになら。
囁かれる声は、甘い呪文のよう。少し乱暴な仕草で、腕の中に引き寄せられる。
――さあ。僕を信じて…。
意外と厚い胸板に頬を埋める。そこに、本来なら脈打たれているはずの、命の鼓動は聞こえない。
静寂のもたらす安心感が、蓮の傷ついた心を包み、癒していった。
――感謝します、蓮さん。これで僕も、もうしばらくは生きられそうだ…。
「…ほぁっ!?」
奇声とともにまぶたを上げる。視界に広がるのは、四角く低い天井。 そして今にも泣き出しそうな瓜二つのふたりの姉が、自分を見下ろしている。
「目が覚めましたのね…」
「蓮~~っ!! 生きてたぁぁ」
ものすごい力で蘭に抱きしめられ、窒息しそうになる。その肩越しに、金屏風を背に腕を組み、からっとした笑みを浮かべるクリンの姿が見えた。
(さっきのは、僕の夢だったのでしょうか? それとも…)
抱擁から解放されると、蓮は夢中で彼のもとへ走り寄った。
「クリンさまっ!」
ばつが悪そうに口ごもる。
「あの…。ぼ、僕が男の子だと知って…軽蔑しましたか?」
きょとんと目を見開くクリン。
蓮が元来得意とするような、男性に媚びる態度ではない。真摯を通り越し必死な瞳に、思わず吹き出す。
「んー。ま、少しは驚きましたけど…」
傍目にも、決して『少し』には見えなかったが。
「蓮さんとは秘密を共有しちゃったし…連帯責任かな?」
耳元に唇を寄せると、彼女にしか聞こえない声で囁いた。
「ごちそうさまでした♪」
「ほぁぁ…クリンさまぁ…」
頬を真っ赤に染め、ゆでだこのようになっている蓮。もはやその『秘密』の内容については、詳しく問い詰める余裕はないらしい。
「あんた、あのコの性別わかってる? ちょっとは見境持ちなさいよね」
「いや、オカマにだけは言われたくないから」
肩をすくめてしなを作る真性オカマッチョ僧侶に、しれっとした態度で返すクリン。
サムソンの膝元では、ネアが静かな寝息を立てている。皆が蓮と闘っている間、集中的に治療をしていたため、傷は跡形もなく消え去っている。
「う…ん」
軽く伸びるように寝返りを打つ、その寝顔の意外なほどのあどけなさに、蘭が思わず苦笑した。
「あの時ネアが叱ってくれなかったら、あたしゃ一生後悔することになってたかも知れないねぇ」
「ええ、わたくしも。意地を張ったまま…蘭と真っ直ぐ向かい合うことはなかったと思いますわ」
きっと、ふたりには必要だったのだ。間違いを正し、もとの真っ直ぐな道へと導いてくれる、力強い『姉』の存在が。
「ありがとう」
「今はゆっくりとお休みくださいね、ネアさん…」
静かに微笑むと、蘭と凛は、ネアの頬に両側からそっと口付けをした。
障子の隙間から、爽やかな小鳥のさえずりとともに、黄金色の朝日が差し込んでくる。心に積もったすべての闇を、優しく溶かしていくように――。
長い長い一夜が、終わりを告げようとしていた。
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