恋は爆裂パンクラッシュ!
〈第4ラウンド 闘志の炎!〉
キキィッ。
お店から二キロくらい離れた銀行の前まで来て、車を停めた。スピードが出すぎていた分、急ブレーキになっちゃったみたい。
エンジンはかけっぱなしのまま、助手席に置いといた入金バッグを手に取ると、私はゆっくりMARCHから降りた。
飲食店に限らずうちみたいに夜まで営業するお店っていうのは、その日の売上金を銀行の営業時間中に預けに行くことができないから、『夜間金庫』っていう特別なシステムを利用してるんだ。
銀行の入口の近くにポストみたいな鍵つきの金庫があって、そこに銀行指定の入金バッグに入れた売上金を放り込んでおくと、翌朝銀行の人が来て、入金の手続きをしてくれるっていう便利な仕組み。レンタルビデオの夜間返却ボックスみたいなもん(?)かな。
今日はみんなにものすごく迷惑かけてしまったから、せめて入金くらいはやっていこうと思って、勝手に入金バッグ持ってきちゃったんだ。
特別仕様の夜間金庫の鍵をポケットから取り出しながら、私は深いため息をついた。
こんなときに、こんなこと考えちゃうのっておかしいかな。
…今の私を見たら、ジンは、どう思うだろう…。
いくらジンが私だけの『王子様』だからって、いいかげん愛想尽かして、メールの返事もくれなくなっちゃうかな。
その瞬間。忘れてた何かが…、記憶のカケラが音を立てる。
…あれ?
私…、ジンに会った?
あのとき、あの神社の駐車場でみた夢の中で。私、ジンと会ったんじゃなかったっけ…?
ぼーっと夢見心地みたいに考え事をしながら、金庫まであと十数メートルってところまで歩いていって。ふと、私は足を止めた。
銀行を囲む壁の影。ちょうど街灯の光から隠れた狭い路地裏で、一瞬なにか黒い影が動いたような気がしたんだ。
誰かいる? だけど、こんな時間に、こんなところに人がいるなんて、絶対おかしいよ。
よく見ると、中肉中背の男の人が立ってる。厚いマフラーを口が隠れるくらいまで巻いて、つばのある帽子を目深にかぶっているから、顔も見えない。しかも後ろ手に、なんか棒みたいなものを持ってるみたい…。
…あっ!
そのとき、頭の中に、前に轟さんとロッカールームで世間話してたときに聞かせてもらった話題がよみがえってきたんだ。
たしか何年も前の出来事だったらしいんだけど。うちのチェーンの他の店舗で、夜間金庫に売上金を預けにいった社員が、待ち伏せしていた不審な男に突然ナイフを突きつけられて、その日の売上金数十万円を奪い取られた、って話。
犯人はすぐに捕まったんだけど、そのときお金を盗られた社員はショックで遅番の仕事をつづけていくのが怖くなって、結局お店を辞めてしまったんだって。
もし、もしもだよ。
そこにいる男の人がそのときみたいな不審者で、私の腕の中の入金バッグのお金を狙う強盗だったら…!
どくん、どくん。心臓が波打つ。冷たい汗が背中をつうっと伝っていく。
男がずいっと私の目の前に歩み出る。街灯に反射して光った後ろ手に握ったものが、もうはっきりとわかる。あれは…どう見たって、金属バットにしか見えないよ!
私はふらりと後ずさると、走って車に戻ろうとした。別に今金庫にお金を入れなくったって、明日(もう今日だけど)は私仕事休みなんだから、銀行の営業時間中に出直してくればいいんだもん。
一歩、また一歩、震える足をなんとか動かしてMARCHに走り寄る。
でも、その瞬間!
私の動きに気づいたのか、男の身体がこちらを探るように動いた。そして、後ろに隠してたバットを目の前に構えると。
信じられないような速さで、私に向かって突進してきたの――!
やだっ。こんなのやだよ!
逃げたいのに、足がガクガクして動けない。
男の姿が目前に迫って、金色のバットが街灯の光に冷たく反射して…。
―――助けて!
―――ガッ!
音が、響いた。一瞬、目の前が真っ白になる…。
でも、痛みは感じない。どうして? 私、殴られたんじゃないの?
おそるおそるまぶたを上げてみる。目の前に、鈍い光を発する金属の棒が迫ってる。
だけど…。
振り下ろされたバットをがしっと受け止めた、力強い手のひら。
この真冬に黒のタンクトップ一枚の、鍛え上げられた強靭な身体。
…夢かも知れない。ううん、夢じゃない。
私をかばってくれた、その人は。
「…ジン…!」
私、震える声で叫んでいた。
ジンはそんな私を安心させるように軽くうなずいてみせると、金属バットをつかんだままの男の方に向き直ったの。
その瞳は、『闘う男』のもの。幾千もの修羅場という修羅場を己の技と力とでくぐり抜けてきた、自信に満ち溢れた男の表情(かお)。
「――菜々花を襲ったこと、地獄の底で後悔するんだな」
低く押さえた声音。ジン、本気だ。私のために、本気で怒ってくれてるんだ…。
バットから手を離して逃げ出そうとする男の背中を、ジンの力強い腕が捕らえる。
バランスを崩した男の身体を叩きつけるように地面に押し倒すと、その上に馬乗りになる。両腕を男の首の周りに巻きつけて、がっちりと押さえ込む。
それは本当に一瞬の出来事で、私にも何が起こったかぜんぜんわからないくらいの速さだったんだけど…。
ジンの身体の下で、男が小さくうめいた。ジンが左腕をかすかに締め付けて、男の首を圧迫したんだ。このまま圧迫をつづけたら…喉仏をつぶされて、この人、死んじゃうよ!
「やめて、ジン! もういいよっ!」
私、やっと正気に戻って叫んでいた。だって、まさかジンを犯罪者にさせるわけになんかいかないもの!
組み合ったままのふたりに駆け寄ると、私は必死でジンの腕をつかんで、下敷きになってる男の上から引き剥がした。
まだ物足りないように固く拳を握り締めてるジンとは逆に、男の方はもう完全にのびきっちゃってる。
ふうっと息をついて、やっと頭が回転し始める。ジンのさっきの技…格闘界でも禁忌中の禁忌、ギロチンチョーク・スリーパーホールドだよ。喉仏に圧迫を加えて、相手の気道をふさぐ。つまり、この技が決まっちゃうと、敵は完全に呼吸停止の状態に陥るっていうこと!
(↑このへんの知識は、ジンとメールするようになってから興味持って雑誌とか見て覚えたものなんだけどね)
倒れたままの男の顔をおそるおそる覗き込んでみると、…あぁ、よかった、ちゃんと息してるよ。
ホッとした瞬間。身体中の力が一気に抜けて、私は入金バッグを両腕でしっかり抱えたまま、へなへなと冷たいコンクリートの地面にへたり込んでしまった。
あまりに唐突過ぎて、現実味がなくて。それでいて、怖いくらいに今の数分間は現実で…。
治まってたはずだった震えが、よみがえってくる。寒さのせいじゃない。目の前に転がった金属バットと不審な男。
でも…。
ジンも、ここにいる。
私のそばにいてくれてる。それもまた、現実だから…。
ジンはMARCHの助手席からあの赤いボアコートを持ってくると、私の肩にふわっとそれを掛けてくれたの。
「間に合ってよかった」
短いけど、なによりも温かい言葉に。
私の両目から、枯れたはずの熱い雫が溢れて、ぽろぽろってこぼれ落ちていったんだ――。
それから私たちは男をケーサツに引き渡しに行って、簡単な事情聴取をされて、そのままMARCHに乗り込んで交番を後にしてきたの。
名前と住所を聞かれたときは焦ったけど(だってジンの身分をどうやって証明したらいいの?)、なんとか私の身分証明だけで納得してもらえたみたい。
いくぶん落ち着いてきて、MARCHの中でふたりしてあったかいココアをすすりながら。私はジンの今日一日の波乱万丈の冒険譚に聞き入っていたんだ。
あのとき神社の駐車場で私が急に倒れたのは、誰かに睡眠薬みたいなものを嗅がされたからみたいなの。
犯人は、ジンを追ってきたライバル国の刺客(!)。ジンが言うには、格闘技王国を自称する国はジンのお父さんの統治するパンクラッシュ王国以外にもいくつかあって、互いに強さを競い合っているんだって。
国の第三王子であるジンの首には、ものすごい値打ちがかかってる。だからジンは、いつも敵の襲撃を気にしながら、日々を暮らしているんだって。それも大変なことだよね。
で、今回は、敵が私を薬で眠らせて、人質に取ろうとしたんだって。ジンは一瞬にして敵をぶっ倒して私を救い出してくれたんだけど、これ以上私を危険に巻き込まないようにわざと私の前から姿を消して、仕事が終わるのを待っててくれたの。そして、あの銀行での場面に遭遇したというわけ。うん、タイミングばっちりだったよね★
「これからは、オレが守ってやる! 菜々花を襲う悩みや困難なんて、全部吹き飛ばしてやるぜ!」
ココアの缶をぐしゃっと軽く握り潰しちゃいそうな勢いで、ガッツポーズをするジン。そんな彼の姿はほんとに凛々しくて、私はまたその強さにすがりそうになってしまう。
「ありがとう、ジン」
男の人の強さって、腕っ節だけじゃないと思う。温かな心、包み込むような優しさ…それこそが、ほんとの『強さ』なのかも知れないね。ジンは、それを持ってる。だから私、こんなに彼に惹かれてしまうんだ。
――だけど。
「だけどね、ジン」
一呼吸置くと。私ははっきりと言ったんだ。
「私、強くなりたい」
「菜々花…?」
それは、ジンにとっては予想もできなかったようなセリフだったのかも知れない。不意を突かれた顔で、じぃっと私を見つめてる。私もジンの瞳をまっすぐ見つめ返した。
「メールの中で演じてたような、か弱くて可愛らしい夢みる女の子のふりは、もうやめるよ!」
それから私は、今日のお店での出来事を、ひとつ残らずジンに話したんだ。失敗したことも、やつ当たりして自己嫌悪に陥っちゃったことも、情けない自分も、全部さらけだして。それでもジンは、黙って隣に座ったまま、私の話を真剣な眼差しで聞いてくれていた。
「ほんとはね、知ってたんだ…。マサキは、努力してた。ものすごく。私が想像もできないくらいに。夏美さんへの『恋心』からっていうのもあったと思うけど、でも、それだけじゃない…あいつは、『チーフとして』の夏美さんに少しでも近づきたいから、憧れてた一人前のラーメン職人に一日でも早くなりたいから、だからあんなに無理して頑張ってたんだよ」
サービス出勤なんかして、眠る時間まで削りながら。それでも、一日でも早くみんなに認められたくて、あんなに努力してたんだ。
それに比べて、私はなにひとつ努力なんかしてなかった。ただ、逃げてただけだった。ジンの優しさに甘えて、なんにもできない、か弱くて可愛い女の子のふりをしてた。
マサキの言いたかったこと、あのセリフのつづき…。ほんとは、私自身がいちばんよくわかってたよ。
『菜々花、お前に足りないのは、闘志だ』
もしかしたら言葉はちょっと違うかも知れないけど。闘志。闘う気持ち。マサキに負けたくないっていう気持ち。
同じスタートを切って、同じだけの時間修行をつづけてきて。今、同じリングの上にいながら、私はライバルのマサキと向き合おうともせず、満足できない現実から目を逸らすことだけをひたすら考えつづけてたんだ。
「ジン。私、強くなりたい。大好きなふたりに少しでも近づけるように、できる限りのことしたいよ」
「菜々花…! それでこそ菜々花だ!」
私の言葉に答えるように、ジンの顔に満面の笑みが浮かんだ。
「キミに、この言葉を贈るよ。『負けを認めなければ、一生負けない』。たとえ闘いに敗れても、闘志の炎を消さない限り、人は人生に勝ちつづけられるんだ!」
車の時計は、もう午前六時をまわっている。漆黒の夜が、うっすらと白み始めてる。そして、突然のまぶしさに目を向けた東の空からは、燃えるような鮮やかな光が差し始めてたの。
私の視線に気づいたのか、ジンも同じ方角を見た。まばゆい光の魔法に、私は言葉をなくしていた。
そして、気づいたんだ。私とジンの携帯から発せられた、虹のカケラの色。あれは、朝日の色だったんだ。燃える闘志に満ちあふれた、『闘いのはじまり』の色だったんだ。
声に出さなくても、それはジンにもちゃんと伝わっていた。助手席に座るジンの大きな右手が、私の左手をぎゅっと握りしめたから。
「よーし、オレが菜々花の専属トレーナーになってやる! さっそく今日からトレーニング開始だぞ!」
「うん。頑張るよ、ジン!」
昇る朝日に向かって、私は誓ったんだ。
強くなる。きっと。
誇れる自分になるために、今、その一歩を踏み出すよ――!
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