恋は爆裂パンクラッシュ!〈第5ラウンド〉

恋は爆裂パンクラッシュ!

 

〈第5ラウンド 想いの証〉

 それから五日――。

 週に一度の休みが明けて、私の生活は早番から遅番へと移り変わってたんだ。今週の社員のシフトは、

《早番》 轟さん、マサキ
《遅番》 店長、夏美さん、私

だよ。

 あれ以来マサキとは、なんとなく気まずいままの毎日がつづいている。

 半人前のマサキと私は、めったに同じシフトになることはないんだ(この間は特別だったけど)。顔を合わすとしても早番・遅番交代のせいぜい一時間くらいだし、お店が混んでたりして、おしゃべりしてる暇もなかったから。

 あの日のこと、ちゃんと謝らなきゃならない…って、もちろん思った。早番で上がってくマサキの背中を追いかけようとしたことだって何度もあった。

 だけど。
 自分の仕事をほったらかして謝りに行ったって、説得力なんかきっとひとつもないはず。

 私、思うんだ。夏美さんとマサキに私の『決意』を打ち明けられる日は、いつか必ず来るって。そのときまで、私は私にできるせいいっぱいの努力をしなきゃならない、って。

 だから今は、やるしかない。
 試合開始のゴングは、もうとっくに鳴り響いたんだから。


 強盗に襲われかけた、あの日。私はほぼ朝帰り状態で家に帰って、ジンも市内の質素なビジネスホテルに泊まって数時間の睡眠をとったの。

 一国の王子様をこーゆーところに押し込めちゃって悪いなぁとは思ったけど、まさか彼をいきなり私の家に連れてくわけにはいかないし、寒い車の中で眠ってもらうわけにもいかないもんね。

 その日の午後、ジンと私はお店の裏の駐車場でもう一度待ち合わせをして、近所のスポーツジムに行って入会手続きをすることにした。

 善は急げ、思い立ったが吉日ってやつ。あの重いチャーハンの鉄鍋を持ち上げるためには、腕の筋肉をもっともっと鍛えなきゃならない。そのために、いちばんの近道として、トレーニングマシンを使っての筋力アップをはかることにしたんだ。

「たのもぉー!」

 ジムのドアを蹴破るような勢いで中に入っていくと、ジンは思いっきり叫んだ。…っていうか、道場破りじゃあるまいし、『頼もう』はないと思うんだけど。受付にいたジャージ姿のおねえさんの顔がひきつる。

「ご、ご入会のお客様でいらっしゃいますか? 詳しいご説明をさせていただきますので、まずはこちらにご記入ください」

 そういって手渡されたのは、名前・住所・身長体重・スポーツ歴なんかを記入するプロフィールカードだった。

 自慢じゃないけど、私って実はカナリの運動音痴なんだぁ。部活も運動部には入ったことなかったし、体育も『3』以上は取ったことないんだよね。

 空白ばかり多い私のカードとスポーツ・受賞歴で埋め尽くされたジンのカードを差し出すと、おねえさんは軽く両方に目を通しはじめた。その視線がジンの名前とプロフィールの欄でぴたりと止まる。

 その瞬間、私、やっと気づいたんだ。ジンのプロフィールを私以外の人が見て、理解できるはずなんかないってこと!

 あわててカードを返してもらおうとしたんだけど…。

 なんだか様子がおかしい。おねえさんの視線は、ジンの名前にくぎ付けになったままだ。

「…少々、お待ちください…」

 おねえさんは突然言うと、奥のプライベートルームのドアを開けて、ものすごい勢いで中に駆け込んで行ってしまった。そして、待つこと一分。

「やあやあ、お待たせいたしました! いらっしゃいませ」

 そう言いながらもみ手とともに現れたのは、どう見てもこのジムのオーナーとしか思えない、スーツ姿の恰幅のいいおじさんだった。

「龍王寺ジン様、でいらっしゃいますね。いやぁ、貴方様のお噂はかねがねうかがっております…。どうぞこれから当ジムをごひいきに」

 …って。えぇっ!? どういうこと!? どうしてこの人、ジンのことを知ってるっていうんだろう!?

 ボーゼンとしている私をよそに、オーナーさんはニコニコ笑顔でもみ手をしながら、ジンを褒め称えるお世辞みたいなことを延々としゃべりつづけている。

 うーん。もしこの人たちがジンのことを知っているんだとしたら、このジムはこれから、パンクラッシュ王国の王子様御用達っていうブランド名が付くことになるんだもんね。

 ちらりとジンの顔を見上げてみると。…あは。そんなお世辞なんかぜんぜんキョーミないって感じで、アクビしてる。

「ああ、ちょっと聞きたいんだが…ここの営業時間は何時までなんだ? 実は事情があって、毎日深夜二時半以降にトレーニングルームを利用したいんだが、まさかそんな時間まで営業はしてないんだろうな」

「いえ、それはもう。ジン様のご希望でございましたら、いつでも開放いたしますよ。よろしければ、深夜二時から朝十時までの閉館時間中、トレーニングルームをおふたりの貸しきりにいたしますが。いかがでしょう?」

 ……というわけで。

 とんとん拍子に話は進んで、オーナーさんの言うとおり、毎日深夜~明け方にかけての時間帯、ジンと私は自由にジムに出入りすることができるようになったんだ。

 その上、ジンが住む場所がないって言うと、オーナーさんがなんと泣く子も黙る高崎ロイヤルホテルのスイートルーム一室を、無期限貸しきりでその場で手配してくれたんだよ! いくらなんでも、それはすごすぎるよね。

 ジンってもしかして(もしかしなくても)、スポーツマンを自称する人たちの間では、カナリのVIPなんじゃないだろーか…。

 なんて、今頃気づいた私は、やっぱり相当鈍いんだろうけど。

 そして、肝心のトレーニングも、私の専属トレーナー・ジンの指導を受けながら、順調に進められていったんだ。

 一日目は、身体を慣らすための柔軟と、アリーナでのバドミントン。

 二日目は、同じく柔軟と、ラケットを持つ手を左手に変えてのバド。これはジンのアイデアなんだ。私の利き手は右手だけど、レードル(おたま)を持つ手は右手、鍋を持つ手は左手なわけだから、左腕の筋肉を集中的に鍛えるためにあえてこうしてみたんだよ。ムズカシすぎて、サーブ打てるようになるまでにずいぶんかかったけど。

 そして一昨日、特訓三日目。やっと念願のトレーニングルームでの機械運動がメニューに加えられたの。

 ジンに機械の使い方を教えてもらいながら、バタフライ(椅子に座って、身体の両脇にあるアームバーを腕の力で手前に持ってくる機械)とチェストプレス(同じく椅子に座ってやる、重量挙げみたいなもんかな)をやったんだ。

 この機械、両方とも重りの重さを調節できるんだけど、私はまずは思いきり軽い五キロから始めた。それでもやっとって感じだったけど。

 おかげでここ三日間は、目覚めた瞬間から両腕がものすごい筋肉痛になってて、出勤途中のMARCHの運転すらやっとこさだったんだ★

 あまりの痛さにどんぶりとかギョーザとか落っことさないように、充分注意しないと、ね。


「菜々ちゃん、ちょっと早いけど夕飯食べちゃってくれる? 十時ラッシュが来る前に、全員ご飯済ませちゃいたいから」
「あっ、はーいっ」

 ゆで麺器の前で麺網を洗っていた夏美さんに言われて、私は洗浄器の中からアツアツのどんぶりを取り出しながら答えた。時計を見ると、二十一時をちょっとまわったところだ。

 店舗の場所柄もあると思うけど、うちのお店には平日夜の『十時ラッシュ』っていうのがあるんだ。

 二十二時に近所のパチンコ屋さんが一斉に閉まるから、帰りがけのお客さんでホールは一気に混み始める。そしてその一陣が去ったかと思うと、今度は二十三時で仕事を終えたパチンコ屋の店員さんたち自身が夜食を食べに来るから、再びラッシュが訪れるの。毎日お決まりのサイクルなんだ。

「お先にいただきまーす」

 自分で作ったみそラーメンを左手に、オーダーミスで余ってしまった店長作のチャーハン半分を右手に、私は厨房を離れてバックヤードに向かった。

 チャーハンなんて、久しぶりだなぁ。普段自分のごはんは自分で作らせてもらうから、チャーハンの作り方を知らない私はめったに食べることができないんだもの。

 こういう日くらい、しっかり味わって食べなきゃね。…なんて、ひとりでうなずきながら、社員用のテーブルのあるロッカールームに入って行った、

 ――その、瞬間。

「ご自分で作られたお料理のお味は、やはり格別でしょうね」
「!」

 突然背後から声が響いて、私、ギョッとして振り返っていた。バイトさんの引継ぎの時間帯でもないし、自分以外の人がいるなんてまさか予想もしてなかったから。

 私の視線の先。ロッカールームの入口のすぐ横の壁を背にして、ひとりの若い男の人が立っている。

 誰? 見たことない人。お店の裏口から出入りするなんて、従業員か仕入先の業者さんくらいのものだけど…どう見たって業者さんには見えないよ。

 だって、彼の格好。新体操の選手が着てるみたいなぴったりとした黒のレオタードに、グレーのスーツみたいなロングジャケットを羽織ってる。まるでどこかのアクション映画のスパイみたいだ。

「どちら様ですか? 当店になにかご用ですか」

 両手にごちそうを持ったままいぶかしげに尋ねる私に、彼はクッと軽く笑った。その笑顔は、どこぞのヴィジュアル系バンドのボーカルも真っ青ってくらいの色っぽさを持ってる。歳は二十二、三歳、ジンと同じくらいかな。

「あぁ、これは失礼…。自己紹介がまだでございましたね。私は、パンクラッシュ王国第三王子ジン殿下の目付け役、ヒオウと申します」

「ジンのお目付け役!?」

 私、すっとんきょうな声で叫んでいた。だって、虹のカケラの奇跡でジンが現れただけでも驚いたのに、そのお目付け役の人までこうして現実に現れてしまうなんて!

「貴女様が、王子殿下の『姫君』、桐原菜々花様でいらっしゃいますね。突然のご無礼をお許しください」
「ひ、『姫君』、ですか…」

 ジンが私の『王子様』なら、私は彼の『姫君』だっていうことなのかな。柄でもない響きに、背中がむずがゆくなってしまう。

 だけど、アハハと苦笑している私とは正反対に、ヒオウさんは急に真剣な表情に戻った。そして、言ったんだ。

「不躾ながら、率直に申し上げます。今すぐ王子殿下とのメール交換をおやめください」
「!?」

 一瞬、その言葉の意味がわからなかった。

 だって…ジンと私の時間は、まだ始まったばかりなんだよ? これからもずっと、ふたりでトレーニングをつづけていくんだから。いつか私が最初の勝利のゴングを響かせたとき、そばにいてほしいのはジンだけなんだから。

「そんなことできません!」

 思わず声を荒げてしまう。顔を上げると、私はまっすぐヒオウさんの瞳を見つめ返した。

「彼がいてくれたから、私、強くなりたいって思えたんです。どんなに辛くたって、ひとりじゃないって教えてくれた…。私にはジンが必要なんです!」

 言葉足らずだなって思ったけど。心の中身、ぜんぶぶちまけた。これが今の私のせいいっぱいの気持ちなんだから。

 だけど、その言葉を聞いた瞬間――。

 ヒオウさんの表情が、突然、まるで別人になったみたいにがらりと変化したんだ。

 彼のまとう空気が、刃みたいな鋭さを持つ。そして刺すような冷たい風になって、私の背後をびゅわっと吹き抜けていく。

 それが『殺気』というものだって、鈍感な私にでもすぐにわかった。

 どうして? どうしてそんなにも私たちのメール交換をやめさせたいの!?

「王子殿下が必要…でございますか。なんとも生ぬるいお言葉にございますね」

 抑えた声音は、更なる凄みを生む。私はごくりとつばを飲み込んだ。

「四日後、パンクラッシュの王立競技場にて、国最強の格闘家を決めるトーナメントが開催されます。もちろん王子殿下も出場されることが決まっていらっしゃるのですが…国王陛下のお考えでは、ジン王子殿下がおふたりの兄上様を打ち破りこの大会に優勝された暁には、ジン王子殿下に国王の座をお与えになるおつもりだということなのでございます」

「ジンが、パンクラッシュ王国の国王様に…」

「パンクラッシュには、王子殿下の即位を心より待ち望む多くの国民たちがおります。殿下は今、彼らと貴女の夢を量りにかけて、そして迷わず貴女を選ぼうとなさっている…。貴女にはその自覚がおありなのですか? 『強くなりたい』とおっしゃっておきながら、殿下のお気持ちを利用し、その優しさに甘えていらっしゃるだけではないのですか?」

「…!」

 とっさに言葉が出てこなかった。だってそれは…。認めたくないけれど、今まで目を逸らしつづけてきた、明らかな『真実』だったから。

 ヒオウさんの言うとおり、私は、ジンの気持ちを利用しているのかも知れない――。

 彼は決して私のことを裏切らない。なぜなら彼は、私とのメール交換なしではこの世界に生まれることのなかった存在だから。

 だけど…。だからって彼の気持ちを利用して、私の都合を押し付けていい理由なんかどこにもない。

 私は…自分勝手だ!

「トーナメント前日までに、王子殿下が国にお戻りになるようご説得ください。どうか殿下を、メールの『呪縛』から解き放ってさしあげてください…」

「えっ!? それってどういう…」

 思いもかけなかったセリフにハッとして顔を上げたとき、もうそこにはヒオウさんの姿はなかった。風みたいに、夜の空気の中に溶け込んでいた。

 

 今までずっと、ジンは、私だけの『王子様』だって思ってた。私とのメール交換によって生まれて、形づくられていった存在。彼は私だけのために存在して、私のためならすべてを捧げてくれると思ってた。

 でも、違うんだ。
 ジンにはジンの『現実』がある。私の生きる『現実』とは別の、いわゆるパラレルワールド的な世界かも知れないけれど。

 そこにはジンを必要としている人たちがたくさんいて、その人たちに比べたら私なんてちっぽけな存在で。

 …もしかしたら、彼の人生を縛り付けているのは、他でもない私自身なんじゃないだろうか…?

「菜々ちゃん? どうしたの、ごはん食べてなかったの?」

 突然声をかけられて振り返ると、冷蔵庫の前から不思議そうに私を見つめてる夏美さんがいた。右手には、チャーハンに添える業務用の紅しょうがの袋を持っている。

 私の左手のラーメンはとっくに伸びきっていて、美味しいはずのチャーハンももう冷たくなっていた。
 そのチャーハンを見つめていたら。

 ――ポッ。

 心に、小さな炎が宿ったのがわかった。その炎は、あの日ジンとふたりで夢を誓った朝日の色にとてもよく似ている気がした。

 ゆらゆら、ずっと揺らいでいた心。
 だけど、ひとつだけ確かなことがある。

 私がジンに証明できる、たったひとつの想いの証。
 それは、ジンに私のトレーニングの成果を見せること…!

 迷いはもう消えていた。

 私はまっすぐ夏美さんに向き直ると、言ったんだ。

「夏美さん、私にチャーハンの作り方を教えてください!」

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