恋は爆裂パンクラッシュ!〈第6ラウンド〉

恋は爆裂パンクラッシュ!

 

〈第6ラウンド 夢への階段〉

 ――夢を、みてた。

 今はもう、完全に見慣れた風景。たくさんのテーブルとお座敷とカウンター席。ゆで麺器とずん胴鍋とギョーザ焼きの四角い鉄板。

 めまぐるしくホールを駆け抜けてくパートさんとバイトさんたちのハツラツとした表情に逆に圧倒されて、キンチョーで身体をカチコチにしてる、あれは私。

 青い炎の燃え盛るガス台の前で鉄鍋の中の山盛りのチャーハンをダイナミックに翻させてる社員たちを、決意に満ちた面持ちで見つめてる、あれはマサキ。

 そうだ。これは、『まつかぜ』への入社前の新入社員研修が終了して、初めて実際のお店を見学させてもらいに来たときの夢だ。

 まだ外は肌寒い四月の上旬、真夏みたいに暑い厨房の中で、汗だくになりながら調理に励んでる男社員たちの中に、紅一点の若い女性がいた。

 誰よりも強く、誰よりも可憐に、輝くような笑顔で麺網を振るってた女の人。

 ――夏美さん。

 『まつかぜ』史上最年少の、しかも直営三十七店舗中唯一の女性チーフ。そんなものすごい肩書きを持った上司に初めて挨拶しようと、キンチョーしながら歩み寄ったとき。

 夏美さんは、キレイな顔としなやかなスタイルとは明らかに不釣合いな意外とがっしりとした両手をマサキと私の肩に置いて、言ったんだ。

『あなたたちが、新しく入る正樹くんと菜々花ちゃん? 私、山崎夏美。これから一緒に楽しく仕事しようね!』

 それは咲きほこる大輪のひまわりの花みたいに可憐で、真夏の太陽みたいにまぶしい笑顔だった。

 それからマサキと私は、まずパートさんやバイトの子たちに混じってホールでの仕事を教えてもらって、季節が夏から初秋に移り変わる頃、ようやく夏美さんの下について厨房に入って調理の基本を教えてもらうことを許されたんだ。

 中に入って一ヵ月くらいで、マサキは大方のラーメンやサイドオーダーの作り方を覚え終わった。
 そしてついに夏美さんの手を離れて、今度は轟さんの下で、スープやモツ煮の仕込みを教えてもらう段階に入ったんだっけ。

 私は相変わらず夏美さんのそばにくっついて、夏美さんの教えてくれることを自分なりのペースで吸収していってた。
 大好きなお姉さんである夏美さんと一緒に仕事ができることが、嬉しくて嬉しくてたまらなかったんだ。

 でも、なぜか、満ち足りた気分にまではなれなかった。いつも心のどこかに不安な気持ちが残ってた。

 こんなに夏美さんの近くにいるのに、でも、遠い。遠くて遠くて、私なんかがいくら小走りで上っていっても追いつけないような長い階段の上の方に、夏美さんはいて。

 でも、マサキは順調にその階段を上っていて。私が時々どこか違う方向を向いてぼけっとしてる間に、時には二段、三段抜かしで軽々と段差を飛び越えていって――。

 そう、私はただ、置いていかれるのが怖かった。

 いつも三人一緒だったあの頃。決して優しくなんかなかった、泣きたいくらいにしごいてもらったあの時間。

 だけどマサキはひとりで先に夏美さんのところへ行ってしまって、私だけが取り残されたような気がして…。

 それが、怖かったんだ。寂しかったんだ。

 だけどそんなの、ただの甘えでしかなかった。今の私にならわかる。

 私が本当に勝たなきゃならなかった相手は、マサキじゃない、『自分自身』だったってこと。

 ずっと探してた答えが、ようやく今見つかった気がするよ。

 

 …ねぇ、ジン。だから、次はあなたの番だよね。

 メール越しだったけど、いつだってあなたは私のそばにいて、ゆらゆらしてた私の心を支えてくれた。

 私がジンにしてあげられること。
 それは、彼をメールの『呪縛』から解き放ってあげること。

 私のために存在してくれる空想上の『王子様』なんかじゃなく、一国の未来を担うれっきとした王子殿下として。

 私、もう迷わないよ。
 自分のために、あなたのために。
 今、最終ラウンドのリングに上がるから――。


 三日後、ヒオウさんとの約束の日。ジンと出会ってちょうど十日目。

 私はジンを、初めて『まつかぜ』に招待することにしたんだ。

 もちろん今まで招待する気がなかったわけじゃないけど、なんていうのかな、私の中では『仕事』と『ジンとの時間』とは完全に別の次元に存在するものだと思ってたから。

 ほんとは、怖かったのかも知れない。夢と現実が混ざり合う瞬間が。私の現実に触れたら、ジンがはかない幻みたいにこの世界から消えてしまうような気がして。

 だけど、私にはもう、なんとなくわかっていたんだ。ジンとのお別れのときが近づいてるっていうことが。

 だから、遅番の私が十七時四十五分にロッカールームの更衣室から黄色いトレーナー姿で出てきたとき、そこにあの日と同じにヒオウさんの姿を見つけても、特別驚いたりはしなかった。

「菜々花様。約束の日は今日でございます。どうぞお返事をお聞かせください」

 不思議な静けさに包まれたロッカールームは、いつものお店の喧騒とはまったく別の世界みたいに感じられた。

 タイムカードのデジタル時計を気にしながら、私は手早く厨房用のエプロンを身につける。そんな私を、ヒオウさんはただ静かな眼差しで見つめてる。

 バッグを手に取って、ロッカーにしまおうとした。ちょうどそのとき、チャックの開いたままのバッグの中から私の見慣れたパールピンクの携帯電話がこぼれ落ちて、フローリングの床の上ににぎやかな音をたてた。

「ヒオウさん」

 それが合図になった。言いたかった言葉が、堰を切って溢れ出した。

「私、ヒオウさんの言うとおり、ジンに甘えてたかも知れません。自分の現実から逃げたくて、ジンにメールを送って…そして今、ジンの大切な時間を私なんかのために費やさせてしまってる。それはどうしようもないワガママで、自分勝手なことなのかも知れない…。
 だけど、ひとつだけ、わかってほしいんです。言い訳じゃなく、ジンを大切に思う、ひとりの人間として」

 私はぎゅっと拳を握り締めると、せいいっぱいの気持ちを込めて言ったんだ。

「ヒオウさん、前に言いましたよね。ジンはパンクラッシュの国民たちと私の夢を量りにかけて、私の夢の方を選ぼうとしてるって。だけど、それは違うと思うんです。
 …彼と一緒に修行しててわかった。ジンは、もっと遠くにある、私には見えないなにか大きなものを見てます。彼が量りにかけてるのは、目先のちっぽけな現実なんかじゃない、彼にしか見えないおっきな夢だと思うんです」

 確かに今は、ジンは私のそばにいてくれている。一本気な性格の彼だから、私のトレーニングのために全力を注いでくれている。

 だけど、その後は? 彼の存在意義って、絶対そんな小さなものなんかじゃないはず。

「彼を『メール』っていう手段で縛り付けて身動きを取れなくさせてるのが私自身なんだとしたら、私はジンを解放してあげなきゃならない。私の背中を押してくれたジンのために、私も彼を送り出してあげなきゃならないんです」

「菜々花様…」

「お願いがあるんです。今夜一時半にここに来てほしいって、ジンに伝えてもらえませんか」
「………」

「私の想いの証を、ジンに見せたいんです。彼が心置きなく国に帰って、自分の使命をまっとうできるように」

 国に帰って、トーナメントに出場して。その先にある、ジンが見つめているものが何なのか、私には想像もつかないけれど。

 ヒオウさんはしばらく空(くう)を見つめて何かを考えていたみたいだったけれど、やがて小さくうなずくと、言ったんだ。

「承知いたしました。王子殿下には私からメールをいたしましょう」


「おはようございまーす」

 ヒオウさんと別れて、いつものように挨拶をしながら、私は厨房に入っていった。
 カウンター越しにホールの様子を見てみると、平日のせいか、今日はお客さんは少ないみたい。

 厨房にマサキの姿があるのは、店長が急な会議で本部(本社)に呼び出しがかかったから。遅番の店長と早番のマサキが、今日一日だけシフトを交代したからなんだって。

 もうひとりの遅番・夏美さんは、もう明日の仕込みの準備のために奥に入ってる。だから厨房は、自然と、あの日と同じにマサキと私のふたりに任された形になった。

 一瞬なんとなく気まずさが漂うけど、マサキの飄々としてそれでいてほんのちょっと気を使ってくれてるなにげない態度で、不安も一気に吹っ飛んじゃった。

「お願いしまーす、ギョーザ三枚入ります!」
「お願いします、みそ二つ、広東メン一つです」

「はーい!」
「はいっ」

 ホールから響いてきたバイトのみんなの声に、ふたり同時に返事を返す。
 私は『補助』(ラーメンを作るマサキが『メイン』だからね)としてギョーザ焼きの鉄板の前にスタンバイすると、お湯をひいた鉄板の上にギョーザを並べようと、鉄板のふたを持ち上げた。

 …あれっ?

 その瞬間、なんか違和感。

 ――鉄板のふたって、こんなに軽かったっけ…?

 ここ数日は、店長と夏美さんが遅番の厨房を仕切っていたから、私はバイトのみんなに混じってチャイナ姿でホールに出てたんだけど。
 あの日以来初めて、『中』の仕事に取りかかってみたら…。

 身体が、軽いの。
 なんていうか、今まで中で動いてたときより、私、ずっとスムーズに動けるようになってる。

 それにね、ギョーザを焦がしてしまう量が、明らかに少なくなってる。っていうより、ほとんどロス(お客様に出せない品物)は出てないの。

 もしかして、もしかしてだけど。たった数日間のジンとの特訓の成果が、もうすでに表れ始めてるんじゃないのかな…!?

「やるじゃん、菜々花」
「えっ?」

 並んでたオーダー伝票が上がって、調理作業が一段落したとき。思いもかけなかったマサキの声に、私、フライ返しを手にしたまま、ぽかんとして顔を上げた。

「知らねー間に、いきなりフットワーク軽くなっちまってさ。こっちが焦るじゃんか」

 麺網にこびりついた麺のかけらを流し台の縁で叩き落しながら、振り向きもせずにつぶやくマサキ。でも、その横顔には、私がこの間誤解したような偉ぶった表情なんかはひとつも浮かんでなくて。

「ガンバろーなっ、これからも」

 そっけないけど、力強い言葉。

 伝わるよ。すべてを包み込んでくれる、大きな心。

「うん。ごめんね、マサキ。――私、負けないからねっ!」

 こいつがライバルで…友達で、ほんとによかった。だって、私はこのまっすぐな笑顔のおかげで、何のよこしまな心もなく、前だけを向いて突き進んでいけるんだから。

 ――私、もう、絶対に負けないからね。


 十時ラッシュを過ぎて、日付が変わって…。ホールにある掛け時計の針は、いつの間にか一時十五分を指している。

 まるで奇跡みたい。ここまで何のトラブルもなく仕事をこなせてきたなんて。今日はクレームも一件も来てないし、最初はぎこちなかったマサキとの連携にも、数時間でかなり慣れてきたみたい。

 一時十五分、かぁ。
 ヒオウさんが約束どおり連絡を取っておいてくれたのなら、ジンがお店に来てくれるまであと少し。

 二時の閉店まで一時間を切ってお客さんもまばらになってきたけど、気を抜かないでガンバらなきゃ。

「お願いしまーす、みそ二つ、塩バタ一つ、単品チャーハン一つ入ります!」
「はいっ!」

 ホールから、バイトの『いっちゃん』こと市川裕美の元気いっぱいの声が響いてきて、マサキが返事を返した。

 ふたり同時に伝票を覗き込んでみると、とりあえずギョーザのオーダーは来てないみたい。マサキがチャーハンを作るためにゆで麺器を離れてサブバーナーに向かったから、私はマサキの代わりにラーメンのベース(味付け)の用意を始めた。

 『まつかぜ』の厨房には、三つのバーナー(業務用のガスコンロ)があるんだ。いちばん火力の強いメインバーナーでは常にずん胴鍋でラーメンのスープを温めていて、あとのふたつのサブバーナーは、ラーメンに乗せるもやしを炒めたり、チャーハンとか焼きモツとかのサイドオーダーを作ったりするのに使うの。

 マサキが例の大きな鉄鍋をバーナーに乗せて、もともと種火がついていたのをツマミを回して両火全開にする。

 …そこまでは、いつもと同じだったんだけど。

 えっ?

 なんだか、バーナーの調子がおかしいよ。まるでどこかからガスが漏れているみたいに、シュゥーっていう気の抜けた音がしてる。さっきまでは絶対こんな音してなかったのに。

 私は思わずゆで麺器の前から身を乗り出してしまう。マサキも不審げに首をかしげて、一度乗せた鉄鍋をどかしてバーナーの中を覗き込んだ。

 そして、それは一瞬の出来事だった――。

 ――ボンッ!

 バーナーの中央部からオレンジ色の炎が激しく噴き出したかと思うと。

 店中を揺るがすような轟音とともに、火柱となって一気に天井まで立ち上ったの――!

第5ラウンド ← → 第7ラウンド