恋は爆裂パンクラッシュ!〈第7ラウンド〉

恋は爆裂パンクラッシュ!

 

〈第7ラウンド ココロのバトル〉

「うわっ!」

 マサキはすんでのところで火柱をかわすと、思いきり後ろに飛び退いた。っていうより、爆発のときの熱風の風圧で、否応なしに吹き飛ばされたっていうのがほんとのところだけど。

 厨房の天井は火事を避けるために鉄製になってたからよかった。でも、もしマサキが避けるのがあと一瞬遅かったら…ポリエステル製の制服のトレーナーに引火して、火だるまになってたところだよ!

「正樹くん!」

 爆発音に気づいた夏美さんが、バックヤードから厨房に駆け込んでくる。

 立ち上る劫火に身動きすらできないでいるマサキと私をかばうように、夏美さんはバーナーに近づくと、火力調節のツマミを回して火を消そうとした。

 だけど、なんでだろう? ツマミはまるでさびついたみたいに固くて、ぴくりとも動かないの。

 こんなのってありえないよ! 厨房には先週業者さんが点検に入ったばかりで、ガス設備もバーナーも最良の状態になっているはず。まさか不備があったなんて考えられない。

 そして、次の瞬間。

 ――ゴォッ!

 そう…もうひとつのサブバーナーが、同じように火を噴いたんだ。

 厨房は、夏美さんやマサキのいたホールに近い場所と、私のいたバックヤードに近い場所のふたつに、炎によって分断される形になる。しかも、二度目の爆発の振動で倒れてきた棚でバックヤードにつづく入口も塞がれてしまったから…私は劫火の中で、まったく身動きが取れない状態になってしまったの!

「菜々ちゃん!」
「菜々花っ!」

 火柱の向こう、ゆで麺器の方角から、かすかに夏美さんとマサキの声が聞こえる。

 あまりの恐怖に立ちすくんでしまいそうなシチュエイション、――のはずなのに。

 私、なぜだかちっとも怖くなんかなかったんだ。本当に不思議だけど…。

 なにか、夢と現実との境目の場所に立っているみたいに、現実感がなくて、それでいてただの夢とも思えない、不思議な空間。そこに今、いるような気がする。

 ――ハッと誰かの気配に気づいて、バックヤードの入口側を振り返る。

「よう、お嬢ちゃん」

 聞き慣れない、身体に絡みついてくるような独特の声。

 そう、そこにはいつの間にか、ひとりの男の人が立っていたんだ。どうやってこの火柱の中をくぐってきたっていうんだろう!?

 逆立たせた短い金髪と、青をベースとした色鮮やかな忍者の装束。どこかの格闘ゲームに出てきそうな、なんとなくアメリカチックな雰囲気のある、筋肉ムキムキのゴーカイな感じの男の人。

 今の私にならわかる。この人もまた、ジンと同じ、『闘う男』だってこと。
 彼のまとう空気。まるで全身から、鋭い気迫のような炎が発せられてるみたいなんだもの。

「あんたが龍王寺ジンの『姫』、桐原菜々花だな」

「ど…どちら様ですか?」

 ジンのことも私のことも知ってる。そして私のことをジンの『姫』って。つまりそれは、彼が、私の『現実』に現れた三人目の奇跡っていうこと。

 ジンにメールを送ったあの日から、今までに起きた、ありえないような出来事。だけど、今なら受け入れられるよ。この人は――

「オレ様は、四階堂烈(しかいどう・れつ)。龍王寺ジンの宿命のライバルだ!」

 ゴオッ。烈の名乗りに反応するように、オレンジ色の炎が唸りを上げる。

 四階堂烈。その名前を聞いた瞬間、つい数日前、トレーニングの合間にジンが話してくれたかすかな記憶が、私の脳裏にフラッシュバックしたんだ。

 格闘技王国を自称する国がジンたちの世界にたくさんあることは、前から聞いて知ってた。

 でも、その中でも、パンクラッシュ王国と勢力を二分する、熱い闘魂を持った国があるっていうんだ。

 その名もアルシオン王国。パンクラッシュとは海を隔てた隣国で、月に三度はお互いの国で招待格闘試合が開催されるほどの白熱ぶり。

 そして、そのアルシオン王国の第一王子、つまり次期国王陛下っていうのが、なんとこの人・四階堂烈なんだ!

「あんたを利用すりゃぁ、うまくヤツをおびき出せると思ってな。調理場のガス台には、昨日の内にちっとばかし細工をさせてもらった。
 燃え立つ炎、吹きすさぶ熱風…決戦の舞台として、これ以上ふさわしい演出はねえだろう!」

 両手を腰に当てて、がははとゴーカイに笑う烈。なんていうか…これまた性格に一癖も二癖もある人が現れちゃったもんだなぁ。なんて、悠長に考えてる場合じゃないけどね。

「オレ様はヤツとの決着をつけるため、はるばるこの日本までやってきたんだ。さあ、ヤツの居場所を教えろ!」

「そんなこと、教える理由なんかありません!」

 私、ムッとして叫んでた。

「ジンと勝負がしたいなら、正々堂々と果たし状でも書けばいいじゃないですか。人質を取っておびき出そうとするなんて、卑怯なんじゃないですか!?」

 勝手な理由で、お店をめちゃくちゃにして。もしあの時マサキが大やけどを負っていたら、どうやって償うつもりだったんだろう?

 私は『まつかぜ』ではいちばんの下っ端だよ。だけど、お店を、社員や従業員のみんなを大切に思う気持ちは、ハンパなものなんかじゃないんだから!

 息巻く私の言葉に、烈の唇がにやりと歪んだ。

「物分りの悪ぃお姫様だな…。少々痛ぇ目見ねぇとわからねぇってか?」
「!」

 背中を、ざわっと冷たいものが通り過ぎる。張りつめてた心が揺らぎそうになる。

 ぶわぁっ。突然、風の唸る音が聞こえた。お店のどこかのドアか窓がかすかに開いて、外から空気が流れ込む音。

 お客様? それとも裏口から入ってきた仕入れ先の業者さん?

 ――違う。この気配。

 思わずぱっと頭上を見上げてみる。

 私と烈のいるちょうど真ん中辺り。厨房の天井に、真四角の小さな窓があるの。耐火災用に作られた換気口。その向こう側に、月明かりを受けて、ひとりの人間のシルエットが映し出される。

 窓ガラスにはほんの少しひびが入ってて、そこから空気が流れ込んでる。

 そして、一瞬の衝撃とともにガラスが砕け散ると。

「菜々花ぁ――――っっ!」

 私の名前を呼ぶ声。ぽっかりと開いた窓の上から、厨房の床へと飛び降りたその人は。

「ジン!」

 そう。私の『王子様』、龍王寺ジン、その人だったんだ――!

 ジンは私をかばうようにして烈の目の前に立ちはだかると、背中から羽織ってた真紅のボアコートを右手でつかむ。そして、リングに上がるプロレスの選手みたいに、それを宙へと投げたんだ。

 うわぁ…! あまりに出来過ぎたシーン。どこかのスポ根マンガの一コマみたいな。だけど、それも今ならアリって気がした。ジンは最強の『王子様』。私は彼の『姫君』。そして今この瞬間がきっと、私たちの格闘物語の、最後のバトルシーンになるんだっていうことも。

「四階堂烈! お前の挑戦、受けて立つ!」
「現れやがったな、龍王寺ジン。手加減はしねーぜ!」

 風が唸る。目にも見えない速さで、ふたりの距離が縮まる。その一瞬後には、岩をも打ち砕くような強烈なパンチが双方から繰り出されてる。

 金属バットの男と対峙した、あんな些細な組み合いじゃない。これは、バトルだ。男と男の魂がぶつかり合う、命をかけた真剣勝負なんだ!

 

 そのとき――。

 

 私の視界の中に、ふと、いっちゃんが取ってきたさっきのオーダー伝票が飛び込んできたの。バーナーから少し離れたところに置いてあったから、炎に巻かれてしまうことは免れたみたい。

 …そうだ。私には私のやるべきことがある。

 ジンが命をかけて烈と闘う道を選んだのなら、私も今の自分にできるせいいっぱいの力で私自身と闘ってみせる!

 辺りを見渡すと、さっきマサキが準備してバーナーの脇に置きっぱなしだった黒い大きな鉄鍋が目に入った。両手を伸ばして、柄を握る。――重い。思わず体がよろけてしまう。

 でも、もう逃げない。
 一歩、バーナーに近づく。そして、両手で持った鉄鍋を頭上高く持ち上げると、渾身の力を込めて、それを振り下ろしたの!

 ――ガツン!

 鋭い音が響いて、細かい火花が辺りに飛び散る。バーナーのツマミが元の角度に戻って…やった、火柱も収まってる! いつもどおりの火力だよ。

 鉄鍋をバーナーの上に下ろすと、レードル(おたま)を手に取った。油缶の中の特製油を軽くすくって鍋に流し、全体になじませる。

 うわっ、何だろうこの感じ。身体がまるで自分のものじゃないみたいに、軽やかに動いていくのがわかる。

 卵を割って落とし入れ、どんぶり一杯のごはんを加えて混ぜ合わせる。やくみネギ一掴み、チャコマ(こま切れチャーシュー)五枚分、キーパー(旨味調味料)小さじ二分の一、塩小さじ四分の一。

 ピッチャーの中の白絞油をまわし入れると、油分をたっぷりと含んだ煙が昇って、頬っぺたをじんわりとぬめらせる。中身を軽く混ぜ合わせてから、右手に持ってたレードルを傍らの調理台の上に置いた。自由になった両手で、鉄鍋の柄をしっかりと掴んだ。

 

 この一瞬で、何かが変わる。そんな気がする!

 

 柄を手前に引き寄せると、身体全体で鍋を素早く前方に突き出した。
 卵で薄黄色に色づいたご飯が宙を舞って、ちいさな曲線を描いて…そして、再び鍋の内側に吸い込まれる。

 返った! 今まで鍋底に付いてた部分のご飯が、ふんわりと重なり合うようにして顔をのぞかせてる。

 仕上げの醤油とサンショウを振りかけながら、少しずつ、わかってきたの。そうか…中華鍋を扱うのは、『力』じゃないんだ。鍋をご飯ごと持ち上げて宙に浮かせなくたって、バーナーに乗せたまま一瞬で前へと突き出せば、慣性の法則でご飯は自然に鍋に帰ってくる。素早さとタイミング、それがポイントだったんだね。

 …いろんなものが、見えてきた。ジンと出会ってから。

 自分の弱さを知って、その弱さに立ち向かう勇気を手に入れた。戦いに敗れたっていい、負けを認めさえしなければ、人は永遠に人生に勝ちつづけられる。

 そして今。私、初めての勝利のゴングを、心に響かせることができたんだよ!

 

 バーナーのツマミを回して種火だけの状態に戻すと、私は厨房の奥を振り返った。目の前のチャーハンに夢中で頭から吹っ飛んでいた現実が、再び私を呼び戻す。

 火柱を立てるバーナーを背に、ジンと烈は激しく組み合ったまま。時おり相手の隙をうかがうように鋭い拳が繰り出されるけど、ふたりとも風みたいな軽い動作でそれをよけてる。

 体力も技も、すべてが五分。どちらが勝者となり敗者となるのか、決め手はきっと時の運。

 そして、それは一瞬の出来事だったんだ。

 気合いとともに飛びかかった烈が、ジンの左足にタックルをかける。うそだっ、まさかジンがこんな簡単に利き足を取られるなんて。

 ――ううん、違う! ジンの視線を見て、その裏の思惑がなんとなくだけど読めた気がしたの。ジン、わざと足を取らせたんだ。前かがみになったままの烈の頭を右腕でがっちりと巻き込んで、自分の身体の正面へとものすごい力で移動させる。

「っ!?」

 烈が異変に気づいて身体を引こうとするけど、そこはすでにジンの技の内。今度は左腕で烈の後頭部を押さえつけて、自分の右の太ももの上に重心を乗せさせようとしてる。

 だけど烈だって、そのまま押さえ込まれるような素人じゃない。両足でステップを踏むようにして、ジンの身体のバランスを崩しにかかる。ジンの右足を軸に、ふたりの位置が回転して――

 ――今!

 ジンの左手が、光の速さで烈の右足を掴んだ。烈の身体がぐるっと宙を舞って、厨房の床にたたきつけられる。受け身を取って起き上がろうとした烈のみぞおちを、それより一瞬早くジンの拳が捕らえてたの。

「うぐぁっ!」

 烈の長身が折れ曲がるようにして吹っ飛んで、業務用の油缶の山に背中から突っ込んだ。衝撃で、重い一斗缶が地響きを立てて崩れ落ちる。

 私、とっさにゆで麺器の横のタイマーを押してた。デジタルの数字が、心臓の音にあわせて時を刻み始める。10、9、8…。烈の身体は動かない。3、2、1…

 けたたましいアラームが鳴り響いて、運命の瞬間を告げた。10カウント、ノックアウト。勝ったんだ、ジンが勝ったんだ!

 勝利の余韻に酔う間もなく、ジンは倒れたままの烈を抱き起こすと、背後に回って、軽い気合いとともに背中の中央辺りをひざで突いたの。一瞬のけいれんの後、すぐに呼吸が戻って、烈は軽く咳き込んだ。

「…くそっ、油断したぜ…。利き足をおとりに出してくるたぁな」

 ゆっくり立ち上がりながら、自嘲するみたいに笑う烈。だけど、その表情は、意外なくらいに晴れ晴れしてる。悔しさなんかみじんもない…そうだ、これは『負け』なんかじゃない。次の勝利のための貴重な一ステージだったんだ。

「次の試合はいつになる?」

 烈の問いにジンが答えを探すよりはやく、私、叫んでた。

「ジンが、パンクラッシュのトーナメントに優勝してからだよ!」
「菜々花…」

 びっくりしたように振り返るジンに、ガッツポーズで答える。私なりの大きなメッセージに、ジンの表情が、少しずつだけど和らいでいくのがわかった。

「ヘッ、お嬢ちゃんの言うとおりだな。それまでオレ様もトレーニングに励んどかねぇと」

「今度はちゃんと、面と向かって試合申し込んでくださいね」

 上向きの視線で言った私に、烈はあっけにとられたけど、すぐにお腹を抱えて笑い出した。目じりにうっすらと涙まで浮かべちゃって。うぅ、そこまでウケなくてもいいのになぁ。

「あーわかったよ。あんたも大した姫様だぜ」

 烈は軽くジャンプすると、ジンが叩き割った天井の窓枠を拳で突き上げた。鉄製の枠がバキッとはずれて、屋根の上に落ちたのがわかる。

「次こそは、ぜってぇ勝つからな!」

 今度は思いっきりジャンプすると、烈の身体は天井の窓の外へと吸い込まれていった。見上げると、もうそこに人影はなくて、寒々とした四角い冬の夜空がジンと私を見下ろしているだけだった。

 そのとき、バックヤードへの入口の向こうから、私たちの名前を呼ぶ声が響いてきたんだ。

「ご無事でございますか、ジン殿下、菜々花様!」
「ヒオウか」

 そう、それはジンのお目付け役・ヒオウさんの声だったの。

「ガスの元栓を閉めました。じきに炎は収まります」

 その言葉と同時に、唸りを上げてた残りひとつのバーナーの音が変化し始めた。天井にまで噴き付けていた炎が、少しずつ、少しずつ勢いを弱めていく。

 ジンと私を取り巻いてた『奇跡』の世界の空気が、私の『現実』にじんわりと溶け込んでいく。

 炎の向こう、ホールの明かりの中に、ふたつの人影が見え始めた。肩にふんわりと温かさを感じて振り返ると、ジンの視線とぶつかった。

「伝えたいことが、あるんじゃないのか」
「ジン…」

 そうだよ、今ならきっと伝わる。私は鉄鍋の中のチャーハンをレードルで型に移した。調理台の上の平皿に伏せて、仕上げの紅しょうがを添えた――。

 

「菜々ちゃんっ!」
「菜々花、無事かよっ!?」

「夏美さん、マサキ!」

 私の決意、私の想い、大好きなふたりに。この初めての、ゴングみたいなチャーハンに乗せて届けるんだ――!

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