恋は爆裂パンクラッシュ!〈第8ラウンド〉

恋は爆裂パンクラッシュ!

 

〈第8ラウンド ふたりの約束〉

 炎の引いた厨房は、ちょっとしたざわめきはあったけど、すぐに何事もなかったみたいに静まりかえった。元栓を閉めたことで次の爆発の心配もとりあえず避けられたから、みんなホッとしてたみたい。

 夏美さんやマサキの様子から見て、火柱が上がってたのは、ほんの一瞬だったみたいなんだ。
 ジンと烈が戦っていた時間はたしかに五分以上はあったはずなのに、やっぱりさっき厨房の中は、私の『現実』から切り離された、特別な空間に変わっていたのかも知れない。

 私しかいなかったはずの厨房から現れたジンに、夏美さんもマサキもすごくびっくりしてた。でも、私を炎から守ってくれた人だってわかると、ふたりともすぐにジンと打ち解けてくれたんだ。バックヤード側にいたヒオウさんは、なぜかそのまま姿を消してしまってたんだけどね。

 ホールに残ってたお客様には事情を説明して、今日のところはお店を閉めることにしたの。

 用心を重ねてまずはケーサツに連絡して、ガス屋さんが点検に入って、すべての作業が終わった頃には、もううっすらと空が白み始めてたんだ。

「そんじゃ、毎日菜々花の特訓に付き合ってたんスか?」
「ああ。こう見えても、トレーナーとしてはそれなりの腕だと思ってるからな」

 マサキの問いに、カウンターにいたジンが私のつくったチャーハンをれんげで口に運びながら答えた。

 さっきのゴングのチャーハンは結局お客様に出すことはなくなっちゃったんだけど、ジンが食べるって言ってくれたから、味見を兼ねて小皿に分けてみんなでつまむことになったんだ。けっこう好評だったけど、やっぱりちょっと照れちゃうよ。

 閉店後のお店のホールで、私たちはいろんな話をした。もちろんパンクラッシュ王国や『王子様』と『姫君』のことは伏せておいたけど、ジンが私の秘密のメールの相手だったってこと、トレーナーになって毎日体力づくりに付き合ってくれてたことも。

「だけど、びっくりしたわ。菜々ちゃんに、あんな素敵なスポーツマンのカレシがいたなんてね」

 最後の洗い物を片付けながら、夏美さんがこっそり私にささやいたんだけど。

「か、カレシじゃないですよ、ジンは!」

 私、あわてて返してた。声が裏返っちゃってるよ。

 ふと見ると、バックヤードのテーブルの上に書きかけの日報が置きっ放しになっていた。ほんとは毎日レジを閉めてすぐに本部にFaxしなきゃならないのに、いろんなゴタゴタに紛れて、うっかり忘れてたんだ。

「あ、日報っ! ちょっと送ってきちゃいますね」

 私は日報とボールペンを掴むと、逃げるようにしてFaxのあるロッカールームへと駆け込んだ。夏美さんに、それ以上なんて答えていいかわかんなかったしね。

 空白の日報にペンを走らせると、ファイルからはずし用紙をセットして、短縮ボタンを押す。きしむような音を立てて、少しずつFaxが送信されていく。

 …そうだよ、ジンはカレシなんかじゃない。私たちの間にある感情って、いわゆる『恋愛感情』みたいなのとはちょっと違う気がする。

 でも…それなら、私たちの関係って何なのかな? メールによって作られた『王子様』と『姫君』、ただそれだけ…?

 そのとき、物思いにふけっていた私の耳に、突然Faxの送信音とは違う音が飛び込んできたんだ。聴き慣れたメロディ。そうだ、私の携帯のメール着信音だ。

 ほんとは仕事中に携帯なんか触っちゃいけないんだけどね。こんな時間にメールがくるなんて、もしかしたら家で何か急用でもできたのかも知れない。

 私は急いでロッカーを開けると、バッグの中からパールピンクの携帯を取り出した。
 確認ボタンを押すと…えっ? 見たことないアドレス。

 不思議に思って開封してみると、そこには思いもよらない文章が表示されていた。

 菜々花様、時間が迫っております。どうかお急ぎを――。

 『菜々花様』って…もしかして、ヒオウさん?

 私の背中を、ふわっと無重力みたいな感覚が走り抜けた。

 そうだ、いろんなことがあって頭から吹っ飛んでたけど。

 もう日付が変わってるから、パンクラッシュ王国のトーナメントが行われるのは、今日なんだ。ジンがこっちの世界にいられる時間は、もう残されていないんだ…!

 私はロッカールームを飛び出していた。Faxの送信完了も確認しないまま、フラップが開きっぱなしの携帯を右手に握ったままで。

 厨房に駆け込むと、ちょうどバックヤードに向かって歩いてきたマサキと正面衝突した。

「あ、菜々花、お前のお客さん、もうお帰りになるって。急用ができたからってさ」
「!」

 首を伸ばして、厨房の窓口からホールを見渡す。でも、ジンの姿はどこにもない。カウンターに伏せられた伝票の下に、真新しいピン札が挿まれているのが見えるだけ。

「菜々ちゃんを呼ばなくていいのかって聞いたんだけどね…」

 ボーゼンとしている私の後ろから、夏美さんの声が響いた。振り返った私に、夏美さんは小さく微笑んで言ったんだ。

「これ、レシート。うっかり渡し忘れちゃったの。きっとまだ表の駐車場辺りにいるはずよ」

 目の前に差し出された一片のレシート、そして詳しいことを根掘り葉掘り聞かないでいてくれた夏美さんに感謝して。

「はいっ、ちょっと行ってきます!」

 私は風除室のドアを思いきり押し開けると、店の外へと駆け出してたんだ――。


 すくみ上がるような冷気が襲いかかってくる。東の空からかすかな光が差し始めて、ぱりっとした真冬の朝を照らし出した。

 ぐるっと辺りを見渡すと、国道からの駐車場への入口に立てられたIN看板のそばに、ジンの姿があった。

「…ジンっ!」

 小さく叫ぶと、長身の身体がゆっくりと私を振り返る。引き締まった筋肉、無駄のない優雅とすらいえる物腰。そして短髪の黒髪の下からのぞく、漆黒の瞳。

「菜々花…」

「行くんだね」

 つぶやいた私にジンは唇をきつく結んで笑みを返すと、首を回して視線を遠いところに向けた。

「菜々花に会ってから、ずっと考えていた。なぜオレは闘いつづけるのか、なぜ強くなりたいのかを」

 初めて聞く、ジンの心の奥の言葉。

「そんなこと、今まで考えたこともなかった。パンクラッシュの王家に生まれて、物心もつかないうちから格闘技を叩き込まれて。いつかはふさわしい女格闘家を妻にして、王子としての義務を果たす。それが運命だと思ってた。運命は変えられないと思ってたんだ。…だが、オレは…」

 両の拳が握り締められた。きつく、きつく、想いを確かめるように。

「目標に向かって一直線に努力している菜々花の姿を見て、それは間違いだったと気づいた。運命を切り開くのは、他でもない、自分自身だってことにな!」

 うん、私だってそう。ジンと会って、弱い自分を脱ぎ捨てることができた。闘う心を持ちつづければ、道は必ず開けるって知ったんだよ。

「オレの夢は、世界最強の男になることだ!」

 きっぱりと、ジンは言ったんだ。すべてのしがらみから解き放たれた、清々しいまでの表情で。

「『王子』の肩書きなんて要らない。いつかは格闘界の最高峰にたどりついてみせる。もう、迷わない! そのことに気づかせてくれたのは、菜々花、キミなんだ!」
「ジン…」

 本当に? 私もジンになにかをあげることができたのかな? そうだったら、これ以上嬉しいことってない。

 ああ、そうだ…。さっき答えを見つけられなかった、私とジンとの間にある感情。恋愛感情じゃない、でも単なる友情でもない。

 ひとつの言葉で表すのは難しい。

 だけどきっと私たち、格闘技で例えたら、タッグを組んだチームメイトみたいなものだったのかも知れない。

 私もジンも、はじめは相手に『支えてもらう』ことだけを考えてた。自分の『現実』から逃げるために、リングの外に控える交代要員に手を伸ばすことばかり考えてた。

 だけどいつの間にか、『支えてあげられる』ってことの方がずっと嬉しく思えるようになってた…。

 ジンが私に努力する喜びを教えてくれたように、私も今ジンが旅立てることを応援したい。

「…そばにいると約束したのに、守れなくなってしまってすまない」

 ほんの少し目を伏せるジンに、私はぶんぶんと首を振った。そんなこと、気にしてるわけないよ。

「私もウソついてたもん。可愛くてか弱いお姫様のふりして、ジンに守ってもらおうとしてた。だけど、これからは、ジンの隣を並んで歩けるような強い女の子になるんだ!」
「…菜々花…!」

 

 ジンの、そして私の手の中の携帯のディスプレイが、あの時と同じようにかすかに輝き始めていた。ふたりをつないだ奇跡の虹の掛け橋が、今また掛けられようとしている。

 でも、これは別れじゃない。新たなるステージへの第一歩だから。

「次に会うときには、オレはきっと世界最強の男になってるぜ」
「うん。私もきっと、世界最強のラーメン職人になってるからね!」

 世界最強のラーメン職人って一体何だろう…って、思わず自分にツッコミ入れちゃったけど。

 でも、きっとなれる。闘志の炎を消さなければ、きっと何にだってなれるはず。

 

 光がひときわ強くなって、私は思わず目を細めた。立ち上る光の渦がジンの身体を呑み込む。

 その輪郭が少しずつ透明になって、そして――

 やがて、風みたいに空気の中に溶け込んでいった。

 私の『現実』に、確かな変化と不思議の波紋とを残して。

「…あ。レシート、渡しそびれちゃった…」

 思わず声に出して言ったら、なんだか自然に笑みがこぼれた。たった一枚の、薄っぺらい紙切れ。

 『まつかぜ』のマークが入った白い紙面に打ち込まれた文字は、『単品チャーハン ¥×××』。これはジンの存在の証、そして私の夢への始まりの証だ。

 顔を上げた私の視線の先に、真新しい光が映った。

 あの日と同じ、誓いの色の燃えるような朝日が、ぽっかりと顔をのぞかせていた。

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