花房幻影伝 お蘭! ― 百花繚乱の巻 ―〈第四幕〉

花房幻影伝 お蘭! ― 百花繚乱の巻 ―

 

〈第四幕〉

「上手いもんじゃないか、小萩」

 日本橋『天下茶屋』、カラクリ小屋の床に所狭しと並べられた人相書きを眺め、蘭が感嘆の声を上げる。ようやく筆を置いた小萩が、たすき掛けを解きながら笑んだ。

「ふふっ、手習い程度です。京にいた頃は、よく撫子様にせがまれ御姿絵(すがたえ・肖像画)を描かせていただいたものです」

 撫子――御台所の本名。遠い日々を思い起こすように、小萩の瞳がやわらかく細められる。

 鳩三郎を介した凛からの文で、御台所の毒殺未遂疑惑の証拠は押さえることができた。残すは、その黒幕の正体を見極めるのみ。

「しかしこの才能、ぜひうちの組にも欲しいところだよ」
「うちの組…?」
 顎に手を当て唸る蘭を、じっと見上げる小萩。と、土間の引き戸が勢いよく開き、ななが部屋へと駆け込んできた。

「姐御さまぁ~っ! 褒めてくださいッス、例の毒草に関わってる奥女中の顔、バッチリ拝んできたッスよ!」

 猫のように擦り寄る妹分の髪をいとおしげに撫でる。
「あぁ、大手柄さ。苦労ついでに、もうひとつ頼まれてくれるかい?」

 ななの瞳が再び明るい碧の光を帯びる。呆然と見つめる小萩の前で、脳に刻まれた画像と照合するように次々と人相書きを確認していく。

「! この女、間違いないッス!」

 渡された人相書きの端に添えられた名は。
「大奥御年寄役筆頭、富士局――」

 小萩と蘭たちの中で、すべての糸が繋がった。

 養生所の医師と通じ御禁制の毒草を栽培させていたのは、大奥の女中たちの総取締役である、御年寄役筆頭・富士局。その毒で、恐れ多くも御台所の暗殺を企てていたとは。

「あ、あなた方は一体、どのような方々なのです!? 大目付様や奉行所に訴え出ることもなく、このような証拠をいとも容易く手に入れられるとは…」

 小萩の問いに答えるように、蘭はカラクリ小屋の窓の外、そびえ立つ白亜の巨城を見上げる。
「…そうさねぇ。悪事を見過ごすことのできない、お江戸の掃除屋ってところさ」

 その唇の端が、艶やかに歪んだ。

「さて。大奥の、季節外れのすす払いといこうじゃないか!」


 時は暮六つ半(午後七時頃)。涼やかな秋風の吹き抜ける江戸城西の丸吹上の庭に、女たちの華やかな笑い声が響く。

 大奥総出による、観月の宴。本来は毎年八月十五日の十五夜に行われるものだが、片月見を忌む風習から、九月の十三夜にも同じく盛大な宴が催されることになっている。

 月光の下、この日のために準備を重ねてきた得意の唄や踊りを次々と披露していく女中たち。

 緞子(どんす)の幕の中、壇上に座してその様子を見守る御台所・撫子の顔色は、きらびやかな打掛の装飾に呑み込まれことさら青白く見える。

(小萩も今頃、城下のどこかでこの月を見上げておるのじゃろうか…)

 大奥の女性の最高位である御台所という立場にありながら、今の自分はなんと無力で孤独なことか。強く生きると決めた心が再び揺らぎそうになる。

「――御台様、ねぎらいのお言葉を」

 ささやかれた声に眼下を見やれば、いつの間に演目を終えたのか、腰をかがめ頭を垂れる数名の女中たちの姿。

「見事な舞であった。富士、この者たちに褒美をとらせよ」

 御台所の言葉に、先ほどのささやきの主――傍らに座すただならぬ風格を纏う女が、睨みひとつで下女に褒美を運ばせる。

 富士局。齢三十五という異例の若さで大奥の総取締――御年寄役筆頭に任ぜられた、女中たちの出世頭だ。

 もとは貧しい農家の生まれだというが、大奥での出世の鍵は、『一引き、二運、三器量』。将軍のお手つきを目指すのでなければ、器量より運より、上役の者からの引き立てが物を言う。

 それまで自分に目をかけてくれていた前筆頭を非情にも蹴落とし、この職を強奪したと、大奥内でももっぱらの噂だ。

「恐れながら御台様、宴の主賓であらせられる貴女様がそのようなご様子では、下々に示しがつきませぬ。少しはお立場をお考えになられますよう」
「っ……!」

 若い御台所を鼻で笑うようにあしらうその態度こそが、本来糾されるべきもの。だが、今この大奥に、富士局に意見できる者などいない。

 ぎゅっと唇を噛み締める。と、その耳に、鈴を鳴らしたような若い娘の声が届いた。

「さぁさぁ皆さま、お茶請けをお持ちいたしましたわ!」

 純白の前掛けに身を包んだ凛。さらにその背後から、何かが地面を転がるような重低音の振動が近づいてくる。女中たちが首を伸ばしてみれば――。

「み、見てよあれ!」
「何事にござりまするか!?」

 手の上の皿に山盛りの和菓子を乗せたカラクリ人形の大群が、超高速でこちらへ押し寄せてくる。

 姿は市松人形。切り揃えられた黒髪と無表情な顔立ちが不気味さを倍増させている。

「ヒィィッ!! またアイツのカラクリかい!」
「た、た、助けてぇぇぇぇ~~っ!!」

 いつぞやの柄の悪い先輩女中ふたりが、一台の人形に狙いを定められ転げるように逃げ去っていった。重石である菓子を受け取らない限り永遠に追ってくる仕様。もとは凛が『天下茶屋』の客寄せ用に開発したものだが、意外な場面で役に立ったようだ。

「前方の物体を追従するこの動き、エレキテル大八車の自動運転にも応用できそうですわ! …と、今はそれどころではありませんでしたわね」

 大混乱の隙を突き、凛はひらりと壇上へ飛び乗る。

「さっ、富士局様もおひとつ召し上がってくださいな」

(……! 凛!)
 片目をつむる凛に、言葉を呑み込む御台所。我に返った富士局が怒鳴りかかる。

「この壇上は、そなたのような御端下ごときが上れる場所ではない! なにが菓子じゃ、無礼者っ!」

「あら、妙ですわね。この御菓子は、富士局様が御台様のために、直々に材料を調達されて作らせたものだとうかがっておりますのに…」
「!?」

 差し出された皿を見やる。白あんを求肥で包み、さらに蜜漬けの赤ジソの葉でくるんだ和菓子。見目にも愛らしいが、しかし。

「ま、まさかこの葉は……!?」
「まぁ、お顔の色がすぐれませんわ。甘いものでも召し上がって、落ち着かれてはいかがですの?」
 後ずさる富士局を、壇の隅へと追い詰める。

 ――その時だった。

 緞子の幕が、外側から一気に引き剥がされる。その向こうに居並ぶのは、竹刀や捕り物用の縄・熊手を構えた十数名もの男家臣たち。
 物々しい光景に、ざわめいていた宴の席がしんと静まり返る。

「これは一体……」
「そこまでだ、富士」

 ひとりの男がゆっくりと歩み出た。綸子(りんず)の小袖に鮮やかな空色の肩衣と袴を纏った、凛々しき若侍。
 その胸元に燦然と輝く、三つ葉葵の御紋――。

「く、公方様!!」

 時の将軍、徳川家鷹(いえたか)。齢二十五にして諸侯を束ね日ノ本の国を治める天下人、そして撫子の夫。
 その肩に羽根を休める白銀の鳩が低く鳴く。

「そなたの企てた悪事の詳細、この鳩の携えてきた書簡に全て記されておった。将軍である余、そして先君たちですらも見抜くことができなかった、大奥の深き闇…」

 将軍家の揺るぎない権力を護るために、罪もない女子の人生を狂わせる。そのようなことが許されるはずがあろうか。

「余が愚かであった。政務にかまけ、最も大切な存在であるそなたの体調の急変にすら気づいてやることができなかった」
 壇上の妻に手を差し伸べ、まっすぐな瞳で見つめる。

「許してくれ、撫子…!」
「…殿っ…!」

 天女のように空を舞った御台所の身体が、家鷹の腕の中に吸い込まれる。きつく抱き留められた肩衣越しに伝わる鼓動に、熱い涙が御台所の頬を濡らしていった。

「もはやこれまでか…」

 きびすを返した富士局が、庭の隅の井戸へと駆け寄った。取り押さえようとした男家臣たちを跳ね除け、石造りの淵に手をかけ大きく身を乗り出す。

 追い詰められての身投げ――誰もが最悪の結末を予測した、その時。

 富士局の顔の横をかすめ、井戸の底から小さな火の玉が打ち上がる。それは空中で花開き、流星のごとく瞬いて消えた。

「ヘッ、まさか小石川養生所の井戸の底が、こんなとこまで繋がってやがったとはな!」

 愕然と後ずさる富士局の目前、井戸の淵にひらりと降り立つなな。打ち上げたのは忍び道具の狼煙(のろし)。つるべを伝い、器用に地上へ上ってきていたのだ。

 有事の際の将軍の避難経路として、江戸開府の折に極秘に掘られたと伝えられる七つの隠し通路のひとつ。ここから養生所へ通い、竹庵との逢瀬を重ねていたのだろう。

 将軍の命に、富士局の身体に縄がかけられる。もはや逃げられないと悟ったその表情は、名峰富士の名に恥じぬ威厳と穏やかさに満ちている。

 一時代を築いた女傑の最後。大勢の男家臣たちに護衛され堂々と去っていく後姿は、この後奥女中たちの間で、長く伝説として語り継がれることとなる。

 吹上御門脇の櫓の上、再びざわめきを取り戻した宴の跡を、凛とななが満足げに見渡す。

「どうかお幸せになってくださいな、御台様…」

 やわらかく細められる凛の視線の先。睦まじく手を取り合い月を見上げる将軍と御台所の姿は、満天の夜空にようやくめぐり合えた彦星と織姫のようだった。

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