花房幻影伝 お蘭!
〈明けの明星 ― なな ― / 後編〉
「オゥオゥ、なんだてめぇは!? ガキふたり、こいつと仲良くブッ殺されてぇのか!?」
聞くからにアタマの弱そうな山賊の頭の怒鳴り声に、姐御さまは、こちらもどっから来てんのかよくわかんねぇ、溢れるほどの自信に満ちた顔で答えたんだ。
「箱根の関を越えたらこっち、伊豆国は、いずれすべてあたしの縄張りにする予定なのさ。そこで悪さをするやつぁ、このお蘭が許しちゃおかないよっ!」
威勢がいいのは今も昔も変わんねぇ。ものの数呼吸もしねぇうちに、山賊どもは容赦ねぇ石つぶて攻撃で全員気絶させられて、ななは面倒な役人が来ねぇうちに姐御さまに引っ張られて、道なき獣道を死ぬ気で駆け降りたんだ。
人里に近ぇところまでたどり着いたとき、姐御さまは、山賊どもの落としてった盗品のかんざしの先で器用にななの手枷の錠を外しながら言った。あんたは自由だ、さっさと家に帰んな、って。
「家なんかねぇよ。よりによって、誕辰(誕生日)のその日にななを売っ飛ばしやがるよーなヤツら、こっちから願い下げだぜ!」
…口じゃそう言ったけど、ほんとはななだってわかってたんだ。
せっかく減った口が戻ってきやがったら、オヤジやおふくろや兄弟たちを、ひもじい暮らしに逆戻りさせることになる。誰もしあわせになれねぇ。
いっそあのまま山賊に殺されてたほうが、ラクになれたのかも知れねぇな…。
「…あんた、ななってのかい?」
覗き込んできた姐御さまが、何かにピンときたように言った。
「菜の花のなな、か。親御さんたちがあんたを思ってつけてくれた、いい名じゃないか」
「……」
どこまでもめでてぇヤツだと思った。きっと、この世の苦労なんてなにひとつ知らねぇお嬢さまなんだろうって。
「バッカじゃねーの? 弥生に菜の花なんて咲くわけねぇし」
弥生っつったら、雪に埋もれた福寿草がようやく顔を出す季節じゃねぇか。春はまだまだ遠くて、かじかむ手足がちぎれるように痛くて。
…まぁ、二度と戻れやしねぇけどよ…。
そのときだった。うつむいちまってたななの手を、姐御さまがいきなり掴んだ。
「おい、どこ行くんだよ!?」
さっきと同じように有無を言わさず引っ張られて、小高い丘のてっぺんまで連れていかれた。息も絶え絶えでしばらくへたり込んで、やっと文句でも言ってやろうと顔を上げたとき――。
ななは、あの景色を死ぬまで忘れねぇと思う。
山の南の斜面、見渡す限りに狂い咲いてやがる一面の菜の花。
お天道様に向かって懸命に手を伸ばす、ちゃちで田舎っぽくて、そしてどこまでも打たれ強い黄色の花。
「伊豆の春は早いんだ。河津桜(かわづざくら)は如月にゃ咲くし、あと十日もすりゃ、吉野(ソメイヨシノ)も咲く」
ぽかんと口を開けてるななに、姐御さまがまぶしげに朝日に手をかざしながらつぶやいた。
「もしかしたらあんたの親御さん、あんたの故郷よりずっと南の生まれだったんじゃないのかい?」
そのとき、思い出したんだ。
いつだったかおふくろが言ってた。流れ流れて出羽に嫁いでくる前、おふくろは、遠く南の九州は肥前国(現在の長崎県)に住んでたことがあるんだって。
七女だからなな――ずっと、そんな意味しかねぇ、テキトーにつけられた名前だと思い込んでた。自分なんか、はなっからいらねぇ子だったんだって。だけど。
弥生の入りに生まれたなな。おふくろが、遠い南の国の春を思って、この名を選んでくれたんだとしたら。
「…なな…なな、生きてていいのかな…」
姐御さまがこっちを見た。そのガラス玉みてぇに澄んだ瞳は、ななを通して、自分が守るべき誰か――大切な奴らの、一瞬の命の煌めきを見ているようで。
「ついてきな、なな」
目の前に、力強い手のひらが差し出される。見上げたななに、姐御さまは、青空に浮かぶ昼間の真っ白なお月さんみてぇな、でっけぇ笑顔で言ったんだ。
「あたしがあんたに、見たこともない景色をもっともっと見せてやるよ!」
葭簀(よしず)の仕切りの向こう、茶屋の客たちが、入れ替わり立ち代わり脚を休めては去っていく。アイツは何も言わず、ただ静かにななの話を聞いてた。
「あんとき決めたんだよ。ななは、何があっても姐御さまについてくって。たとえ蛇の道だろーが煮えたぎる油の釜ん中だろーが、姐御さまと一緒なら、ななはちっとも怖くねぇんだ」
「…左様か」
深く頷くアイツ。…つーか、こっちから話しといてなんだけど、どこまでわかってやがるんだかな…。
大瀬の郷に加えてもらってからの、厳しい忍びの修行の数々。将軍をコロシてこの国をメチャメチャにするために江戸へ送られたこと。
正義の名の下に、お天道様の光の中を大手を振って生きてるコイツにゃ、明日をも知れねぇななたちの運命なんて、きっと一生理解できねぇんだろうけど。
それでも、ななの気持ちは変わんねぇ。
もし、姐御さまを――ななのお月さんを隠しちまう雲が現れやがったときは、なながこの手で雲をかき消して、必ず光を取り戻してやるんだ!
「…拙者は、そなたに謝らねばならぬ」
「…あ?」
思いがけねぇ言葉に顔を上げる。ぶつかったアイツのまなざしは、怖ぇくれぇに真剣だった。
「ずっと逃げつづけていた。そなたら五人と対峙することからも、突きつけられた現実を受け入れることからも」
…そーだよ。コイツ、なんで今日最初に会ったとき、ななのこと避けようとしやがったんだ?
「だが今、そなたらの決意と、そしてなな、そなたの曇りなき心に触れ、ようやく見い出すことができた。この十日間、拙者が自問しつづけてきた迷いの答えを」
「…十日間」
それって。どう考えたって、ななたちが御台所様暗殺未遂事件を片付けて、姐御さまの様子がおかしくなった、あの日以来って意味じゃねぇか。
「…テメェ…、何知ってやがんだ…」
真っ黒な不安が押し寄せた。足元の地面が一気に崩れてくみてぇに。
それは、ななたちの、ぬるまったいけどどこまでも輝いたこの一瞬のしあわせの日々の、唐突な終わりの予感――。
「――んぶっっ!?」
息が詰まって正気に戻った。アイツのでっかくてゴツい手のひらが、ななの顔面を手毬(てまり)みてぇにわしづかんでやがる。
「ぷはっ! な、何しやがるっ!?」
思っきし引っぺがして、つぶれかけた鼻頭をぎゅっと指で戻した。おいっ、福笑いになったらどーしてくれんだよ!?
「そなたはいつもどおり、拙者に憎まれ口でも叩いておれ」
吹っ切れたみてぇにすがすがしい顔で笑いながら、アイツは椅子から立ち上がった。手元の机にいつの間にか伏せられたふたり分の勘定。
刀の位置を正して、真っ直ぐななの目を見つめる。
「案ずるな。そなたらの大切な頭領の命は、拙者がこの身に代えても護る」
「……!」
『頭領』って。『そなたらの』って。
「お蘭を月と申すのなら、そなたは拙者の――明けの明星だ」
「明けの、明星…?」
東の空、夜明けを告げるでっけぇアカボシ。お天道様と追っかけっこする、負けん気だけが取り得のはねっかえりの星――。
ざわめきかえる店の外。いつになく広くでっかく見えるアイツの背中が、雑踏の中にゆっくりと遠ざかってく。
「……待てよ」
呼び止めねぇと。つなぎ止めねぇと。
「…ヘタレ……じゃなくて、せいしろ……じゃなくって……」
ほんの一時でいいんだ。アイツが今、ななのそばにいてくれてるうちに…!
「せ…、せい……、――清の字っ!!」
不意を突かれたみてぇに、アイツが足を止めて振り返った。
そのいけ好かねぇ顔は、だけどやっぱり何ひとつわかっちゃいなくて。マジで腹の底から憎たらしくて。
「に、似合わねぇこと抜かしてんじゃねぇよっ! ななは…ななはオマエのことなんか、この世でイチバンでぇっキレェなんだからなっっ!!」
一瞬両目をぱちぱちさせた後、ふき出すみてぇに思いっきり笑って。アイツの姿は、今度こそほんとに人込みの中へと消えていった。
…きりり。なんだこれ? 胸の奥がかすかにきしんだ。
姐御さまを取られそうだから? ずっとそばにいつづけてきたななにさえできねぇことを、ポッと出のアイツが、いとも簡単にやってのけようとしてるから?
わかんねぇ。わかんねぇけど。なんか、すっげぇ苦しいんだよ!
「…っつーか……、え? マジで胃が痛ぇ……!?」
ぶわっと噴き出した冷や汗を拭うより先に、店の中からどよめきが起こった。
振り向くと、葭簀の仕切りをブチ破る勢いで、次々と店先に転がり出てくる客たち。侍ぇやら町人やら、男も女もそろって青い顔して、胃の腑の辺りを押さえてやがる。
誰かのツレらしい武家の男が、ひっくりかえったような声で叫んでる。
「い、医者を呼んでくれっ! 芋ようかんを食した者どもが、全員昏倒しておるぞ!!」
これってもしかして、もしかしなくても。
「しょ、しょ…、食中毒じゃねぇか~~~っっ!!」
それから数日。
ななが文字通りカラダを張って取材をなしとげた記事はとーぜん好評で、ななの勤め先・駿河町『早耳屋』の瓦版は、今回もバカ売れに売れた。
住み込みで記者と売り子をやってるななの部屋は、刷り場のちょうど真向かいでよ。こうやって寝込んでる今だって、障子の向こうからは、版木を刷り上げる音と甘ったるい墨の匂いが心地よくただよってくる。
「…大分顔色も落ち着いたようだ」
「まーな。オマエの特製漢方薬のおかげだぜ」
ありがとな、って付け加えると、枕元で薬草を挽いてた桔梗が、目玉の位置をすっと向こうにやる。なかなか腹の底の読めねぇヤツだけど、これでもななの大切な仲間だ。
「ところでその包み、『天下茶屋』のか?」
風呂敷の中にチラッと見えた箱を指すと、不自然に間を置いてから、桔梗がそれを手渡してくる。
「凛より差し入れにと預かった。そなたの好物の、芋ようかんだそうだ」
「アイツ、あとでコロス…」
ま、行きつけの『天下茶屋』があんのに目と鼻の先の別の店に入って、食中りになったんじゃ、イヤミのひとつも言いてぇだろーけどさ…。
――当面の心配事は、癪だけど、どっかの誰かに任すことにする。ななにはななの、今やるべきことがあるんだしな。
さっさとカラダ治して、浅草に蓮の面拝みに行って。瓦版屋の仕事にだって復帰しねぇと。ななの特ダネを心待ちにしてやがる、おしゃべり好きの江戸雀どもがいるんだからよ。
だけど。そんなななにもひとつだけ、きっと永遠にすっぱ抜けねぇ記事がある。それは。
「…どうやら日差しが出てきたようだ」
「あぁ、そーだな」
桔梗が開けた窓から見える、清の字みてぇなお天道様。
そして、その光を受けてなお揺るぎなく空に在りつづけられる白い真昼のお月さんへの、せつねぇほどの憧れだった。
― 明けの明星 ― なな ―・完 ―
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